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連載|ものづくりの視点

都市と建築の間で ―貫通通路の効果を考える―

柏尾 栄

昨年末、池袋サンシャインシティーで「60会」という建設時の設計室のOB会が催され、当時新入社員だった私も大先輩方と懐かしく盃を共にさせていただいた。振り返れば、サンシャインシティーは建築を学んだ後、初めて実務を経験した建築人生の原点であった。サンシャイン通りから地下道で結ばれた街区に入ると、4層構成の「公共歩廊」が街の骨格を形成している。これは当時、特定街区という都市計画で位置づけられたものだ。竣工後36年を経過した今も施設の更新・維持管理が継続的に行われており、大勢の老若男女で賑わっている。当初は行き止まりだった通路は今、地下道から隣接街区を経て東池袋駅までつながっている。

私は担当したプロジェクト数は多くはないが、大規模複合施設を長期間ほぼ専従的に担当させてもらったという点で恵まれていた。この経験から貫通通路やパブリックスペースについて少し考えてみた。

横浜みなとみらい21では、横浜市のマスタープランをベースに街づくりガイドラインが制定され、地区計画で街の骨格となる歩行者軸「クイーン軸」が位置付けられた。横浜ランドマークタワー低層部の「ランドマークプラザ」は、この歩行者軸を民間敷地建物内を貫通する5層吹き抜けのショッピングモールとして実現したもので、特定街区の都市計画で有効空地として担保されている。このようなオープンな吹き抜け空間を実現するためには建築基準法の壁があり、火災時の安全性確保が課題であった。視認性の高い空間構成、店舗背面への避難動線の確保、煙挙動のシミュレーションなどを含む防災計画、大臣認定によってこの課題は解決されている。その後クイーン軸は、クイーンズスクエア計画(これも特定街区制度)によって海までつながり、街の骨格が完成した。

ところ変わって東京駅丸の内北口には、旧国鉄本社跡地を中心とした街区開発「丸の内オアゾ」がある。大きな街区にもかかわらず開発前は四周の狭い歩道だけが唯一のパブリックスペースであった。ここでは地権者の協力により、計3つの地下道を新設し、街区中央を貫通する地上地下重層の貫通通路が設けられた。地上では、ともすればビルの谷間の裏路地となりがちな空間を、アトリウムと街路型吹き抜けモールを中心軸とした井桁状の通り抜けパブリックスペースとすることができた。街区マスタープランによる事業調整から行政協議の末、4棟建物の連担設計による一敷地扱いに総合設計制度を適用し、公開空地を応分の提供バランスで配置した。一体的な環境づくりをした広場と貫通通路は、地区計画で位置付けられている。その後、この地下貫通通路は、東京駅前の地下広場の拡大整備と、東京ビルの地下通路がJPタワーと接続されることによって、今や、大手町永代通りから鍛冶橋通りを経て有楽町までつながる地下貫通通路を形成するに至っている。

大規模都市開発では、事業的な要請に基づく容積や必要機能の確保と同時に、景観評価や街並み・賑わい形成、パブリックスペース、歩行者の利便性向上など、さまざまな貢献要素が求められる。これには長期的・広域的展望を持った都市計画やマスタープランの策定が重要となる。特にここで紹介したような、街区内貫通通路の形成とパブリックスペースの提供は、事業者にとって負担ばかりではなく、利便性や賑わい向上、来街者増加が期待され、さらに隣接街区との連携も図られれば、十分なメリットが得られるし、これからも事業者・計画者に求められる一つの解なのではないかと思う。

福岡赴任中に携わったJR博多シティーがオープンして、博多口駅前広場と筑紫口につながる二つの貫通通路が整備された。博多口側では現在、隣接する郵便局街区からさらに次の街区へと連鎖的にデッキレベルと地下の貫通通路を延伸する計画が進んでおり、近日実現する日を楽しみにしている。

都市と建築の間で ―貫通通路の効果を考える―