三菱銀行本店の図面は1916(大正5)年、いまから約100年前に描かれたもので、日本の近代建築黎明期の構造や施工に対する考え方を克明に物語っている。地上階の構造図は、柱SRC+梁Sの鉄骨を示しており、現代の図面と比べても遜色のない体裁が興味深い。
さらに詳しく見ると、1つの図面のなかに2種類の度量衡が用いられていたことに気づく。一方は尺と寸、もう一方は添え字「 ” 」が表す、インチ( 吋) だ。興味深いのは、インチが鉄骨周辺部にしか使用されていないことである。大正期、日本における鉄骨造の経験はまだまだ浅く、その寸法は欧米の規格に大きく依存していた。ここに記されたインチは「鉄骨部材専用の度量衡」だと考えられる。
鉄骨制作に関連してもう一つ、断面詳細図を見てみよう。どの鉄骨柱も3階付近にジョイントが設けられ、地上から31.2尺= 約10mを一組として制作されたことが分かる。鉄骨を工場から運搬、搬入できる限界の長さが約10mだったとすると、このサイズは100年前と現在とで、さほど変わっていないことになる。
しかし、100年前に10mもの鉄骨を運搬できるトレーラーのようなものはあったのだろうか。そしてこの鉄骨は、そもそもどこで製作されて、運ばれてきたのだろう。日本最初の高炉である八幡製鉄所に火入れがされたのは1901(明治34)年、この図面が描かれるたった15年前のことある。
右:三菱合資會社銀行部 鐵柱詳細図 縮尺貮拾分之一
当ウェブサイト内のコンテンツ(情報、資料、画像等)の著作権およびその他の権利は、当社または当社に使用を認めた権利者に帰属します。法律上許容される範囲を超えて、これらを無断で複製、転用、改ざん、頒布などをおこなうことはできません。
Author's Profile
篠田 悟
しのだ さとる
建築技術や安全対策など、今では当たり前のことが、大型機械がない時代では、大変な労力を必要としたことが容易に想像できます。当時の技術でどう作ってきたのか、謎を紐解くのも楽しみの一つです。
谷口 洵
たにぐち しゅん
現代では当たり前の設計方法も、先人たちが苦労を重ね築いてきた歴史があります。単に古い図面というだけでなく、なぜ私たちが今の設計をしているのか、古図面からそこまで読み解けた瞬間、最高の気分になります。
Update : 2017.09.01