2025.10.02

R&D DISCUSSION Vol.57

これからの「継承設計」を考える[前編]

野村 和宣 神奈川大学教授、三菱地所設計 継承設計室 顧問

R&D DISCUSSION TOP

トップ画像:[写真1]日本工業倶楽部会館・大階段

長年、三菱地所/三菱地所設計の設計者として数多くの「継承設計」プロジェクトを手がけ、2022年からは神奈川大学建築学部の教授として研究・教育にも取り組んでいる野村氏に、再開発における歴史的建造物の継承設計の手法について伺います。

Q : まず、昨今事例が増えている「保存活用」と、三菱地所設計の「継承設計」の違いは何でしょうか?

A :近年、歴史的建造物の保存活用事例が増えている背景には、凍結保存ではなく動態保存、つまり建築を「使い続けていく」ことが不可欠であるという文化庁の方針転換があります。理想はそのまま全て保存することですが、対象とする建築の時代や立地、用途や規模などが多様化するなかで、保存活用するためには幅広い方法を考えなければなりません。「継承設計」は、調査により「継承すべき価値の位置づけと所在」を明らかにした上で、その建築の価値を最大限に継承しつつ、時代の要求に応えるよう機能面で生まれ変わらせる設計手法です。

まちや建築には必ず唯一無二の価値があり、それを見つけ出すことも設計者の重要な役割だと思っています。私が「継承」という言葉を使い始めたのは、保存だけではなく再現も含めて歴史的価値を継承する方法を取り入れた三菱地所設計におけるプロジェクト「日本工業倶楽部会館」(2003年)からになります。その後、「一号館」の復元プロジェクト(2009年)において、失われていた建築全体を再現する仕事に携わりました。いずれの仕事も従来の保存修理の概念だけでは語ることができません。歴史的建造物の価値継承は、常にケースバイケースであり、様々なプロジェクトに携わることで継承設計の手法が培われていきました。

「継承設計」とは

Q : 「継承設計」のターニングポイントになったプロジェクトを教えてください。

A :先ほど触れた「日本工業倶楽部会館・三菱UFJ信託銀行本店ビル」は、「日本工業倶楽部会館」(1920年竣工)の歴史的価値を継承しつつ、街区全体を再開発することが命題でした。基本計画段階で、「価値継承」「安全性確保(機能向上)」「まちづくり(事業性)」の3条件を同時に満たすよう検討し、フィージビリティスタディ(実現可能性検討)によって「保存と開発」の最適解を求めるという検討プロセスを確立したという点において、大変重要なプロジェクトでした[スライド1]。

先例で教訓となったのが、「東京銀行集会所」(1916年竣工)を建て替えた「東京銀行協会ビルヂング」(1993年竣工)です。学識者も参加した委員会により歴史的価値の継承方法が検討され、一部の部材を保存再利用しつつ外観を部分的に再現することになりました。丸の内における保存と開発の両立に挑んだ初期事例でしたが、敷地が狭かったためタワーを十分にセットバックさせることができず、東京銀行集会所の外観がタワーの低層部に貼り付いたような再現となり、「腰巻保存」や「かさぶた保存」などとネガティブな評価を受けていました。

その約10年後、同様に丸の内にて保存と開発の両立をテーマに取り組んだ「日本工業倶楽部会館」は、それまで歴史的価値が認識されていない建築でしたが、再開発が発表された後に日本建築学会から保存要望書が出され、建築の歴史的価値が指摘されました。そこで、保存と開発の最適解を導くために、学識者(都市計画・建築史・建築計画・建築構造)、行政(文化財・都市計画)、事業者、設計者が参加した「日本工業倶楽部会館歴史検討委員会」(主催:日本都市計画学会)により検討が行われました。

まずは調査によって建物の価値の位置づけと所在を明らかにしました。位置づけとしては「大正期の時代性を表現する建物」「我が国の工業界のシンボル」「東京駅前の景観を形成する建築」であるということです。ゼツェシオンという幾何学をモチーフをとした装飾が特徴で、当初の外観と内部空間が見事に残されていました。正面側の倶楽部会館部分を継承範囲とし、後ろ側に付け足されたようなデザインの貸事務所部分は更新する方針となりました。そこで内部空間は重要度を3段階のレベルに分けて評価しました。見どころはやはり、一番見応えのある3階大食堂、そしてアインシュタインが来日時に実験をしたという歴史がある2階大会堂ですね。特に1階の玄関から入り、大階段を昇り、広間を抜けて、大会堂や大食堂へと至るシークエンスが重要で、それを構成する空間、連続性を継承すべきとなりました[スライド2]。

Q : 開発と保存のバランスはどのように図っていったのですか?

A :それらの検討をもとに、開発と活用を両立させる計画のフィージビリティスタディを行いました。更地にして新築する案から全保存する案まで、保存や再現の範囲、耐震補強方法の違いによって考えられる10案をまずは同列に並べ、先ほど述べたように、価値継承、安全性確保、まちづくりの3点で評価しました[スライド3]。重要文化財であれば、価値ある範囲全体を保存することを第一に活用を含めた開発の方法を考えることになりますが、再開発の中で日本工業倶楽部会館のような登録文化財の価値継承を行う場合には、この3点の評価を同時に行うことが求められると思っています。

どのプロジェクトでも当初は、所有者や関係者が建物の老朽化や安全性に対して不安を感じています。日本工業倶楽部会館も関東大震災時に躯体に重大な損傷があったという記録があり、直後に耐震改修されていたとはいえ、現代で要求される耐震性能に対しては不安がありました。その修理や耐震改修を行うために経済的負担をどのように補うことができるのかが肝となりました。ここでは1996年に始まった国の「登録有形文化財」への登録を行い、登録範囲の建物を保存再現することで容積の緩和(割増)が受けられる都市計画法の「特定街区制度」が活用されました。当時、国や自治体が文化財建造物の保存を促す都市計画制度の運用に積極的であり、行政も歴史検討委員会に参加し、文化財制度と都市計画制度を連携させられたことが、非常に大きな効果を発揮しました。

Q : 具体的な保存方法や、特に工夫した点を伺えますか?

A :最終的に「躯体の1/3を保存し、残り2/3は再現。全面に免震を施す」という案が採用されました。大会堂・大食堂が内包されている1/3部分は躯体ごと保存できましたが、2/3の躯体は構造上の問題があったので更新し、使える仕上げ材を再利用しつつ、外観と重要な内部空間を保存と再現により継承しました。そして新築部分(三菱UFJ信託銀行本店ビル)の地下構築物の上に、免震を介して保存再現部分を載せています[スライド4]。構造的にはもう1つ、大階段を保存するためにタワーの柱を途中から曲げています。多くの方に意見を求め、構造担当者にも相当な苦労をかけましたが、そのまま柱をタワーから保存部分に落としていたら折角の大空間が台無しになっていたでしょう。改めて、そういう思い切った判断が大事なのだと思います。ちなみに、大階段の手すりは当初金属製だったのですが、戦時下の金属供出により木製に変わっていました。今回は、竣工当初の写真を見ながら当初の姿に再現しています[写真3]。

こうして完成した「日本工業倶楽部会館・三菱UFJ信託銀行本店ビル」は、新築した地下構築物の上に保存した手法が評価され、日本建築学会賞(業績)を受賞することができました。

[写真1-3 撮影協力:日本工業倶楽部(会員制のため、建物は一般非公開です)/スライド4点:野村和宣氏提供]

PROFILE

神奈川大学教授 / 三菱地所設計 継承設計室 顧問

野村 和宣

のむら かずのり

1964年東京都生まれ。博士(工学)。1988年、東京工業大学大学院修士課程修了後、三菱地所入社(設計監理部門)。丸の内再構築のマスタープランの企画設計などを担当後、2001年より三菱地所設計にて、歴史的建造物を含む数々の都市再生プロジェクトの設計に携わる。代表作に、日本工業倶楽部会館・三菱UFJ信託銀行本店ビル(2003年、日本建築学会業績賞)、三菱一号館復元計画(2009年、日本建築学会業績賞、日本建設業協会賞)、JPタワー(2012年)、GINZA KABUKIZA(2013年)など。主な著書に、「生まれ変わる歴史的建造物」(日刊工業新聞社、2014年)など。現在は、三菱地所設計 継承設計室 顧問、神奈川大学教授(2022年より)、東京建築祭実行委員会委員。


OTHER DISCUSSIONS

R&D DISCUSSION Vol.59

これからの「継承設計」を考える[後編]

野村 和宣 神奈川大学教授、三菱地所設計 継承設計室 顧問

R&D DISCUSSION Vol.58

これからの「継承設計」を考える[中編]

野村 和宣 神奈川大学教授、三菱地所設計 継承設計室 顧問

R&D DISCUSSION Vol.57

これからの「継承設計」を考える[前編]

野村 和宣 神奈川大学教授、三菱地所設計 継承設計室 顧問

R&D DISCUSSION Vol.56

マインド・チェンジ―――
未来に発展する企業像をめざして[後編]

川原 秀仁 ALFA PMC代表取締役社長

R&D DISCUSSION Vol.55

マインド・チェンジ―――
未来に発展する企業像をめざして[中編]

川原 秀仁 ALFA PMC代表取締役社長

R&D DISCUSSION Vol.54

マインド・チェンジ―――
未来に発展する企業像をめざして[前編]

川原 秀仁 ALFA PMC代表取締役社長

R&D DISCUSSION Vol.53

次世代交通とこれからの都市計画 [後編]

森本 章倫 早稲田大学理工学術院教授、日本都市計画学会会長

R&D DISCUSSION Vol.52

次世代交通とこれからの都市計画 [中編]

森本 章倫 早稲田大学理工学術院教授、日本都市計画学会会長

R&D DISCUSSION Vol.51

次世代交通とこれからの都市計画 [前編]

森本 章倫 早稲田大学理工学術院教授、日本都市計画学会会長

R&D DISCUSSION Vol.50

世界は可能性に満ち溢れている
――プレイフルに知覚し、アクションを起こそう! [後編]

上田 信行 同志社女子大学名誉教授、ネオミュージアム館長

R&D DISCUSSION Vol.49

世界は可能性に満ち溢れている
――プレイフルに知覚し、アクションを起こそう! [中編]

上田 信行 同志社女子大学名誉教授、ネオミュージアム館長

R&D DISCUSSION Vol.48

世界は可能性に満ち溢れている
――プレイフルに知覚し、アクションを起こそう! [前編]

上田 信行 同志社女子大学名誉教授、ネオミュージアム館長

R&D DISCUSSION Vol.47

Light is Life: 太陽の地球で人間と [後編]

東海林 弘靖 照明デザイナー

R&D DISCUSSION Vol.46

Light is Life: 太陽の地球で人間と [前編]

東海林 弘靖 照明デザイナー

R&D DISCUSSION Vol45

火事に負けない木造建築物をつくる [後編]

安井 昇 建築家、NPO法人team Timberize理事長

R&D DISCUSSION Vol.44

火事に負けない木造建築物をつくる [前編]

安井 昇 建築家、NPO法人team Timberize理事長

R&D DISCUSSION Vol.43

サインとは何か? サインデザインとは
何か? [後編]

八島 紀明 情報デザイナー

R&D DISCUSSION Vol.42

サインとは何か? サインデザインとは
何か? [中編]

八島 紀明 情報デザイナー

R&D DISCUSSION Vol.41

サインとは何か? サインデザインとは
何か? [前編]

八島 紀明 情報デザイナー

R&D DISCUSSION Vol.40

人びとを幸福にする、データを活用したまちづくり[後編]

一言 太郎 ニューラルポケット株式会社 理事

R&D DISCUSSION Vol.39

人びとを幸福にする、データを活用したまちづくり[前編]

一言 太郎 ニューラルポケット株式会社 理事

R&D DISCUSSION Vol.38

2050年、カーボンニュートラル実現に向けた日本の戦略[後編]

齋藤 卓三 一般財団法人ベターリビング 住宅・建築センター評定・評価部長

R&D DISCUSSION Vol.37

2050年、カーボンニュートラル実現に向けた日本の戦略[前編]

齋藤 卓三 一般財団法人ベターリビング 住宅・建築センター評定・評価部長

R&D DISCUSSION Vol.36

地域プロジェクトを通して見えてくる 建築に求められる「+α」[後編]

竹内 泰 東北工業大学教授(- 2021年度)、株式会社あび清総合計画 代表取締役社長(2022年度-)

R&D DISCUSSION Vol.35

地域プロジェクトを通して見えてくる 建築に求められる「+α」[前編]

竹内 泰 東北工業大学教授(- 2021年度)、株式会社あび清総合計画 代表取締役社長

R&D DISCUSSION Vol.34

Before-Before建築論
歴史を紐解く設計術[後編]

鯵坂徹 鹿児島大学教授

R&D DISCUSSION Vol.33

Before-Before建築論
歴史を紐解く設計術[前編]

鯵坂徹 鹿児島大学教授

R&D DISCUSSION Vol.32

大人を惹きつける「水塊」のつくり方
カスタマー起点の発想で、水族館を「メディア」化する

中村元 水族館プロデューサー

R&D DISCUSSION Vol.31

大人を惹きつける「水塊」のつくり方
サンシャイン水族館「天空のオアシス」[後編]

中村元 水族館プロデューサー

R&D DISCUSSION Vol.30

大人を惹きつける「水塊」のつくり方
サンシャイン水族館「天空のオアシス」[前編]

中村元 水族館プロデューサー

R&D DISCUSSION Vol.29

ウェルネスとパフォーマンスマネジメント
新しい時代の生き方vol.2[後編]

平井孝幸
株式会社ディー・エヌ・エー CHO室 室長代理、合同会社イブキ 代表

R&D DISCUSSION Vol.28

ウェルネスとパフォーマンスマネジメント
新しい時代の生き方vol.2[前編]

平井孝幸
株式会社ディー・エヌ・エー CHO室 室長代理、合同会社イブキ 代表

R&D DISCUSSION Vol.27

イノベーションを起こすワークスタイル
新しい時代の生き方vol.1[後編]

坂本崇博
合同会社SSIN代表、コクヨ株式会社働き方改革プロジェクトアドバイザー

R&D DISCUSSION Vol.26

イノベーションを起こすワークスタイル
新しい時代の生き方vol.1[前編]

坂本 崇博
合同会社SSIN代表、コクヨ株式会社働き方改革プロジェクトアドバイザー

R&D DISCUSSION Vol.25

「リノベーション」を通じて見る、これからのデザインプロセス[後編]

馬場正尊 建築家

R&D DISCUSSION Vol.24

「リノベーション」を通じて見る、これからのデザインプロセス[中編]

馬場正尊 建築家

R&D DISCUSSION Vol.23

「リノベーション」を通じて見る、これからのデザインプロセス[前編]

馬場正尊 建築家

R&D DISCUSSION Vol.22

映画で描かれる建築 1960年代の特撮テレビと喜劇映画[後編]

磯 達雄 建築ジャーナリスト

R&D DISCUSSION Vol.21

映画で描かれる建築 1960年代の特撮テレビと喜劇映画[前編]

磯 達雄 建築ジャーナリスト

R&D DISCUSSION Vol.20

デザインの力で未来を切り拓く
若手アーティストの発掘[後編]

桐山 登士樹 デザインディレクター

R&D DISCUSSION Vol.19

デザインの力で未来を切り拓く
若手アーティストの発掘[中編]

桐山 登士樹 デザインディレクター

R&D DISCUSSION Vol.18

デザインの力で未来を切り拓く
若手アーティストの発掘[前編]

桐山 登士樹 デザインディレクター

R&D DISCUSSION Vol.17

劇場空間の現在、そして未来
広場的空間の研究vol.3[後編]

伊東 正示+丸山 健史 株式会社シアターワークショップ

R&D DISCUSSION Vol.16

劇場空間の現在、そして未来
広場的空間の研究vol.3[前編]

伊東 正示+丸山 健史 株式会社シアターワークショップ

R&D DISCUSSION Vol.15

稼働率100%の公共空間のつくり方
広場的空間の研究vol.2[後編]

山下 裕子 ひと・ネットワーククリエイター、広場ニスト

R&D DISCUSSION Vol.14

稼働率100%の公共空間のつくり方
広場的空間の研究vol.2[前編]

山下 裕子 ひと・ネットワーククリエイター、広場ニスト

R&D DISCUSSION Vol.13

「社会のゆらぎ」をデザインする
広場的空間の研究vol.1[後編]

岡部 祥司
株式会社スノーピークビジネスソリューションズ エヴァンジェリスト、NPO法人「ハマのトウダイ」共同代表

R&D DISCUSSION Vol.12

「社会のゆらぎ」をデザインする
広場的空間の研究vol.1[前編]

岡部 祥司
株式会社スノーピークビジネスソリューションズ エヴァンジェリスト、NPO法人「ハマのトウダイ」共同代表

R&D DISCUSSION Vol.11

イノベーションを起こすワークプレイス 
環境が変われば、働き方が変わる[後編]

小堀 哲夫 建築家

R&D DISCUSSION Vol.10

イノベーションを起こすワークプレイス 
環境が変われば、働き方が変わる[中編]

小堀 哲夫 建築家

R&D DISCUSSION Vol.09

イノベーションを起こすワークプレイス 
環境が変われば、働き方が変わる[前編]

小堀 哲夫 建築家

R&D DISCUSSION Vol.08

環境建築・健康空間が経済を動かす 
ESG投資とウェルネスオフィス[後編]

田辺 新一 早稲田大学創造理工学部建築学科教授

R&D DISCUSSION Vol.07

環境建築・健康空間が経済を動かす 
ESG投資とウェルネスオフィス[前編]

田辺 新一 早稲田大学創造理工学部建築学科教授

R&D DISCUSSION Vol.06

未来のワンシーンを描く 1枚のスケッチの求心力[後編]

福田 哲夫 インダストリアルデザイナー

R&D DISCUSSION Vol.05

未来のワンシーンを描く 1枚のスケッチの求心力[前編]

福田 哲夫 インダストリアルデザイナー

R&D DISCUSSION Vol.04

戦後の「ビル」から、これからの再開発を考える[後編]

倉方 俊輔 建築史家

R&D DISCUSSION Vol.03

戦後の「ビル」から、これからの再開発を考える[前編]

倉方 俊輔 建築史家

R&D DISCUSSION Vol.02

建築  インダストリアルデザインからの視座[後編]

山田 晃三 株式会社GKデザイン機構 取締役相談役

R&D DISCUSSION Vol.01

建築  インダストリアルデザインからの視座[前編]

山田 晃三 株式会社GKデザイン機構 取締役相談役

Update : 2025.10.02

Tags

PAGE TOP