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連載|ものづくりの視点

ガーゴイルのいる街

岩井 光男

世界的な一流ホテルの東京進出が相次ぐ中、9月1日に超一流と評価の高い「ザ・ペニンシュラ東京」が有楽町駅に程近いお堀端にオープンする。建物は竣工済で、日比谷公園と皇居の緑を背景に淡い黄みがかった花崗岩とブロンズサッシュの外観は、格調高い雰囲気を醸し出している。もともとここには1952(昭和27)年竣工の日活国際会館が建っていた。ビル1階にはアメリカンファーマシー、地下には宝石店やレストランがあり、戦後のアメリカナイズされた雰囲気が漂うビルであった。石原裕次郎と北原三枝の結婚披露宴が行われたことで多くの人に親しまれていたが、1970(昭和45)年に三菱地所に所有が移り、以降テナントオフィスビルの日比谷パークビルとして利用されてきた。

この日比谷パークビルの解体、建て替えにあたり2つのことが注目された。その一つは建築当時の工法であった。日比谷パークビルの敷地は17世紀初頭に徳川幕府の江戸城構築のため日比谷入江を埋め立てて出来たところで、厚さ13mから15mの沖積層が堆積しており、地下掘削工事に伴う湧出水処理など、通常の建築地下工法では難工事が予想された。そこで当時、「竹中式潜函工法」がとられた。これは地上に潜函体として建物地下部分を一体的な構造で作り、それをオープンケーソン工法で建物の下の土を掘りながら建物自体の重量で地中に沈ませ、所定の地中レベルに設置する工法である。日活国際会館と言えば私たち建築関係者は潜函工法がすぐ頭に浮かぶほど当時としては画期的な工法であった。

この潜函体は周辺地盤の回り込みを防ぐため、外周壁面下部に下に向かって突き出た刃型の構造体を大きな特徴とする。新築ビルは、既存ビルの地下外壁の内側に地下部分を施工するため、工事中にその構造体の一部を見ることができた。地下に現れた躯体の先端を見たとき、当時この工事に携わった技術者の知恵と技術の高さを垣間見、感動を覚えた。この潜函工法の地中壁は先人の残した知恵と技術の遺構として新築ビルの地下外壁を包み込むように地中に残っている。

もう一つの注目点は日比谷パークビルの9階屋上の北東角から丸の内仲通りを見下ろすように置かれていた「ガーゴイル」であった。日活国際会館竣工時から設置されていたもので、高さ1.5m、顔は鳥、体は人、背中に翼を持ち、何か叫んでいるような口の開きと両手の形で印象的な姿をしている。制作者は日展評議員を務めた彫刻家の故黒田嘉治氏であった。ガーゴイルは本来、屋根の雨樋の出口に設置され、悪霊を追い払う魔除けの役割を果たしたとされるが、1983年11月11日朝日新聞朝刊「人間を励まし叫ぶ怪物」という記事には、黒田嘉治氏が戦後の混乱期にあって「おーい、日本人よ、がんばれ」、そんな思いを形にしたとある。戦後の日本人を勇気づけてきた日比谷パークビルのガーゴイルは新築されたザ・ペニンシュラ東京の北東の角、昔の高さ近くに再び設置された。再び私たち日本人を励まし、勇気づけてくれることを願っている。

このように、丸の内の街づくりに携わっていると先人の残した知恵と技術そして文化、歴史の厚みを感じる。街づくりにおいて、その土地の持つポテンシャルを活かそうとする時、現在の環境だけでなく、先人が遺したもの、その土地で営まれてきた生活や文化がさまざまな示唆を与えてくれる。日比谷パークビル建て替えプロジェクトを通じ、私たちもその厚みの上に、後の世に引き継がれる新たな創造を積み重ねていくのだと、決意を新たにした。

ガーゴイルのいる街