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連載|ものづくりの視点

街づくりへの想い

矢崎 勝彦

11月に入り一気に気温が下がり晩秋を迎えたような感じである。ちょうど一年前、私は以前に住んでいた仙台郊外の街を久しぶりに訪れた。1970年代に開発が始まった総開発面積1,000ヘクタール超の複合型大規模開発地「泉パークタウン」である。最初の開発から40年以上が経って、すっかり樹木も育ち、管理の行き届いた並木は紅葉も美しく、その街並みは風格さえ感じられるまでになっていた。

私はこの街の開発プロジェクトの一員として、1980年代から10年間、街づくり全般に亘る調査計画、設計、工事監理の業務にあたっていた。すでに学校、病院、商業施設等の生活に必要な施設はほとんど揃っていたが、住民の入居開始から10年程度しか経過しておらず、いわゆるニュータウン的な雰囲気が残っていた。

当時、「人と自然が調和した快適な住環境」の実現に向けて、幅広い分野の専門家が一つのプロジェクトチームとして街づくりについて検討を重ねていた。今思うとこのチームにはある特徴があった。チームの全員がこの街に住んでいたことである。建築、土木、ランドスケープ、事業企画、販売、管理の多くのメンバーが、自分の街を良くするために、真剣に意見を出し合っていた。もちろんメンバーが各専門分野のパフォーマンスを最大限発揮することは当然だが、自分の業務範囲を越え、住む人の気持ちも重ね合わせ、将来の街の姿について議論していた。私の仕事は専門技術者として設計図書をつくることであったが、図面や数値だけでは表すことのできないものをどのように具現化していくのかも大きなテーマであった。そのために道路、建築物、公園を一体的に捉え、また住民のコミュニティー形成にも考慮した生活環境づくりを目指した。その後、開発エリアは順次拡大し、ゴルフ場、大型商業施設、業務施設、大学、公立図書館からホテルなど多様な施設が整備されていった。今では当初意図された環境が住民によって共有されながら着実に街の歴史を刻んでいるように思える。

このプロジェクトを離れた後も、全国各地の開発計画を担当し、仙台での経験を活かし、街づくりに携わってきた。 時代は変わり、現在国内ではこのような大規模開発は殆どなくなってしまった。人口減少時代に入ったこと、開発適地が少なくなったことで、このような開発事業が成り立ちづらい時代になった。一方、中国をはじめ東南アジア諸国の住宅環境は必ずしも良くなく、経済発展に伴って、今後開発事業が増えてくると思われる。当社にもこれらの国々の街づくりに関するコンサルティングの依頼が増えている。今まで耕作地として利用してきたエリアや全く未利用であったエリアに、数千ヘクタールの規模で開発を行おうとするものである。

中には投資に対して短期間の回収を図る“事業”を前提としているものも多く、日本における街づくりの考え方がそのまま通用するものではない。国が変われば、土壌や水、太陽の動き方や雨の降り方などの気候風土が違う。また文化、生活習慣も大きく異なってくる。しかし、そのような場合においても、自然と調和した街づくり、住む人の気持ちも考えた街づくりなど、現場で実体験として得た知識、知恵は役立つことが多い。

事業者に対して最善の計画を示すことが我々の使命であるが、同時にそこに住む人々にも暮らしやすく誇りの持てる街を提供する使命も持っている。作られた街はいずれ作り手から離れ、住民自身によって育てられていくことになる。そこに住み、その施設を利用する使い手の視点にも考慮し、街の全体像を見ながら、50年、100年と歴史を積み重ねることができる街づくりを行っていきたい。

街づくりへの想い