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連載|古図面の旅

第7回 第二十一号館(大正3年~昭和36年頃)[曾禰から保岡、そして桜井小太郎へ]

江島 知義

J. コンドルと曾禰達蔵による一丁倫敦の都市デザインを継承しつつ新たなデザインを加えた保岡勝也、そして、桜井小太郎へ
※図中の番号は号館を示す(例:①は第一号館)

仲通り東側の連続立面図。軒高を揃え、ファサードを簡素化。但し屋根の高さは違える。対面する建築ファサードを揃える。街並み、リレーデザイン。

丸の内はJ・コンドルの第一号館からはじまり、曽禰達蔵の第四~七号館へと展開し、その後、保岡勝也により第八~二十一号館が設計され、馬場先通りと仲通りの街並みが完成する。保岡はコンドルや曽禰の何を継承し、後の桜井小太郎へつないだのかを概略する。 保岡は、曾禰による第四、五号館と第六、七号館のデザインの関連性(馬場先通りに比べて仲通りのデザインは簡素化し、対面する建築のファサードはそろえる)を継承して仲通り北側の第八~十一号館を設計し、南側は馬場先通りのデザインを継承して第十四、十三号館を設計した。第十四、十五号館は、仲通り北側と同様に曾禰のデザイン手法を継承したと考えられる。しかし、単に継承しただけに留まらず、もう一捻りしている。一つは、第十四、十五号、十八、二十号館が対面する交差点に向けて塔状デザインを付加していること。もう一つは、保岡の最後の作品である二十一号館に二十号館まであった屋根ではなく陸屋根とし、イギリス式から大規模建築であるアメリカ式への移行を試みた画期的な建築であった。以降、桜井により陸屋根形式の建築デザインが展開され、より奥行きの深い巨大な事務所建築に対応できるデザインの探求へと向かう。

交差点に面して各建物に塔状のデザインを施す。また、仲通りを挟んで両側のデザインをそろえている。

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