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連載|古図面の旅

第16回 八重洲ビルヂング(昭和3年)[DNA継承のキーマン・藤村朗の代表作]

野村 和宣

丸ノ内ビルヂングの設計監理の時、われらの設計組織は創立以来の絶頂期を迎えたが、丸ビル完成とともに技師長・桜井小太郎をはじめ多くの技師らが退社した。そしてその後、技術者トップの役割を託されたのが藤村朗であった。藤村は、1911(明治44)年に桜井や山下寿郎に先んじて入社し、1932(昭和7)年に技師長に就任、1939(昭和14)年三菱地所株式会社設立を経て1946(昭和21)年12月から1年半社長を務め、1963(昭和38)年まで相談役として在籍した。つまり、彼は丸ビル建設と高度経済成長期・丸ノ内改造計画という二度の絶頂期を体験している。藤村朗こそ、戦前の三菱合資会社地所課(部)から戦後の三菱地所設計部門へとDNA を受け継いだ人物であると思う。
藤村は桜井の下で三菱銀行本店や丸ビルを担当しており、丸ビルの震災復旧は彼の仕事であったが、頭となってまとめた代表作といえば1928(昭和3)年の八重洲ビルヂングであろう。鉄筋コンクリート造による古典系最終期の様式で、アールデコの丸ビルにもつながるデザインが採用されている。三層構成を基本とし、基壇には重厚な小松石を積み、中間部は緑のタイルで縁取られたポツ窓を軽快に繰り返し、頂部はタイルと擬石によって装飾されていた。そして、北東の角には象徴的に塔が据えられていた。現在、丸の内パークビルに建て替えられており、八重洲ビルの面影は塔と基壇の一部に偲ぶことができるが、実はそっくりな建物が大阪に存在するのだ。南船場にある大阪農林会館(旧三菱商事大阪支店)という建物で、八重洲ビルのわずか2年後の、1930(昭和5)年竣工、もちろん設計は藤村朗である。基壇・中間・コーニスの構成、緑のタイルに縁取られたポツ窓、サッシュ割のプロポーション、壁面段差のR壁のつなぎ、エントランスホールの雰囲気、廊下のオレンジ色の腰タイル、階段木手摺のデザインなど、今はなき八重洲ビルに再会することができる。レトロビルとしておしゃれなショップも入居しており、とても大切に使われている。大阪に行かれた際は、ぜひ訪れてほしい。

  • 1:八重洲ビルヂング新築北側立面図1/100/2:八重洲ビルヂング新築 側廻り詳細図(其一)1/20/3:大阪農林会館全景/4:窓回り意匠/5:インテリア(廊下)

    1:八重洲ビルヂング新築北側立面図1/100/2:八重洲ビルヂング新築 側廻り詳細図(其一)1/20/3:大阪農林会館全景/4:窓回り意匠/5:インテリア(廊下)

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