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連載|古図面の旅

第26回 丸ノ内建築所はどこにつくられ、どんな建築だったのか?

江島 知義

私たち「古図面研究会」は、2020年に刊行した『丸の内建築図集 1890-1973』(新建築社)をもって、「丸の内まち研究会」へと名を改め、古図面をより深掘りすることに加え、古写真からの情報も整理し、丸の内の歴史をよりビジュアルで伝えていきたいと思います。今回は、私たちの原点である丸ノ内建築所についてご紹介します。

丸ノ内建築所は、1890(明治23)年に、当時、神田淡路町にあった三菱社の本社内に設置され、翌年に「第一号館」建設のための現場事務所として、旧「八重洲ビルヂング」の敷地に建てられた木造仮建築に移った。建物は、寄棟造りの長方形の平屋建て、瓦屋根、下見板貼りという伝統構法による木造建築であった。丸ノ内建築所は、その後、神戸に一旦移転するものの、1900(明治33)年に「第一号館」の本社3階に設けられ、1908(明治41)年に「第六号館」へ移転し、1910(明治43)年には、地所課管轄となり、「第十一号館」へ移転した。ここに、インハウス設計事務所としての歴史が始まったのである。

一方、丸ノ内建築所が神戸に移転した後の建物は、三菱社員の倶楽部として使用された。これは、開設当初より、現場事務所としての役割が不要になった場合、倶楽部として使えるように考慮されていたようである。1914(大正3)年には、柔剣道場などもでき、テニスコートや弓術場も設けられた。その後「八重洲ビルヂング」建設のために大名小路を挟んだ反対側の敷地に移築され、引き続き武道館として活用された。西洋を規範とする一丁倫敦、一丁紐育と言われた都市空間の中に、木造建築とともにあった日本のいきいきとした生活様式の連続性が垣間見られる。

近代化する街路景観・都市機能・働き方に対して、木造建築がどのような役割を演じてきたのかを、引き続きご紹介していきたいと思います。

丸ノ内建築所の建物の移築

丸ノ内建築所の建物

左上:大名小路を挟んで移築される、丸ノ内建築所の建物(赤枠) 
右上:移築後の丸ノ内建築所の建物(道場)
左下:倶楽部として使用される丸ノ内建築所の建物 (背面に見えるのは「第一号館」増築部) 
右下:移築後の丸ノ内建築所の建物(赤枠)

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