130th ANNIVERSARY

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丸の内をつくった建築家たち むかし・いま

資料

丸の内街区以外の
四建築家の作品

コンドルの新発見図面

コンドルは三菱の建築顧問として三菱と岩崎家関係の多くの建物を設計しているが、それらの図面のいくつかはコンドルの没後、事務所から京都大学建築学科に移され、またいくつかは三菱地所に残された。
地所に残された図面のうち1号館や岩崎彌之助駿河台本邸などの図面はこれまで所在が報告されているが、それ以外に加藤高明邸と諸戸清六邸の原図ー式が保管されていることが、この度、明らかになった。

加藤高明邸

なぜ総理大臣の加藤高明の家をコンドルが手がけ、図面が地所に残されたかというと、加藤は岩崎彌太郎の娘婿だからにほかならない。 図面自体にサインや年月日の記載はないが、コンドルの作品に明治44年完成の加藤高明邸があり、コンドルの図面と見てまちがいない。この図面通りに完成したことは「麹町区二番町」に建っていた加藤邸の写真と照合して明らかである。スタイルはルネッサンス系の手堅いものだが、コンドル得意のベランダが付加され、ルネッサンス系にはない軽快さが生まれている。構造は木造にスタッコ仕上げ。2階には和室が組み込まれる。この隣に和館があり、その部分のみ成城に移築されている。

加藤高明邸(明治44年)J.コンドル

諸戸清六邸

なぜこの図面が地所に保管されてきたのか謎である。地所は、三菱および岩崎家と縁つづきの住宅を手がけているが、これまでのところ桑名の諸戸家と三菱・岩崎家との関係ははっきりしていない。コンドルが地所のスタッフを使って設計したとか現場監理を地所が担当したとかいうわけで、図面が残ったのではないのかもしれない。コンドルのもとで諸戸邸の図面を引いたのが桜井小太郎であることはわかっているが、その時のことを桜井が書いた文章をどこで読んだのか私は忘れてしまい、困っている。設計時には桜井はまだ地所に入っておらず、海軍に籍があり、おそらく旧師のコンドルの事務所でアルバイトとして手がけたものと思われるが、それでも地所が原図を持っている必要はない。図面には家具の配置が描かれ、当時の室内の使い方がわかる貴重な図である。スタイルは、ルネッサンス系をベースにしているが、アール・ヌーヴォーや和風が入ってきており、晩年のコンドルの作風の変化を知る上で興味深い。現在も大正2年の完成時のままに残り、現在、保存のための準備が進められている。

諸戸清六邸(桑名、大正2年)J.コンドル

曾禰達蔵の丸の内以外の図面

地所の初代技師長である曾禰が手がけた丸の内以外の建物の図面はたくさん残っておらず、代表作の三菱銀行神戸支店(明治33年)はない。同じく代表作の三菱重工長崎造船所の占勝閣も断片的な図が伝わるに過ぎない。(ただし、現地にはある。)また、処女作として知られる三菱社大阪支店(明治24年)も写真が伝わるのみで図面はない。しかし幸い、これまで手がけたことも知らなかった大阪製煉所の図面があり、また三菱合資会社門司支店の計画案数種が見つかった。門司支店の図面は、当時の建築家がどのようにエスキースを重ねたかがわかる貴重なものである。なお、実施案はこのどれとも少しずつ違っている。

三菱合資会社門司支店(明治39年)曾禰達蔵

大阪製煉所(明治30年)曾禰達蔵

保岡勝也の丸の内以外の図面

二代技師長の保岡勝也が手がけた丸の内以外の建物の図面は、三菱合資会社新潟事務所、同唐津出張所、某館、駒込御邸温室が残されている。某館は用途不明、また実施されたかどうかも不明のもので、印を見ると保岡のほかに内田祥三の名が見られる。デザインにはアール・ヌーヴォーが入っている。駒込御邸温室というのは岩崎家駒込別邸(六義園)の温室である。地所所蔵原図のほか、保岡の著『新築竣工家屋類纂』第一集、明治45年4月5日刊には、某農場客館(小岩井農場のゲストハウス?)、深川区所在某邸内池辺茶亭(岩崎家深川別邸の茶亭)、芝区所在某亭鉄筋コンクリート書庫(岩崎彌之助高輪別邸の静嘉堂文庫)、本郷区所在某邸内温室(岩崎家駒込別邸温室)といった保岡がアルバイトで設計した岩崎家関係の図面が掲載されている。

三菱合資会社新潟事務所(明治41年)保岡勝也

某農場(小岩井?)客館 保岡勝也

岩崎家深川別邸茶亭 保岡勝也

三菱合資会社唐津出張所(明治41年)保岡勝也

某館(明治40年)保岡勝也

駒込別邸温室(明治39年)保岡勝也

岩崎彌之助高輪別邸内静嘉堂文庫 明治44年開設 保岡勝也

桜井小太郎の丸の内三菱オフィスビル以外の図面

三代目技師長の桜井小太郎は丸の内の三菱所有のビルのほかにも丸の内一帯で、台湾銀行東京支店、鉄道協会、横浜正金東京支店を、また丸の内以外では、岩崎家関係として岩崎家赤坂丹後町別邸、幣原喜重郎邸、荘氏鎌倉別邸を手がけ、それらの図面が地所に残されている。ただし荘氏別邸は平面図のみ。丹後町別邸はイギリスのチューダー様式に日本の民家風の屋根をのせた面白い洋館で、桜井の好みがよく現れている。幣原喜重郎は岩崎の娘婿である。荘氏別邸は実施され、現存するけれども、岩崎家丹後町別邸と幣原喜重郎邸は実施されたかどうか未詳である。

台湾銀行東京支店(大正3年)桜井小太郎

鉄道協会(大正5年)桜井小太郎

岩崎家赤坂丹後町別邸(大正6年)桜井小太郎

幣原喜重郎邸(大正10年)桜井小太郎