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連載|ものづくりの視点

失われたものを取り戻す時

岩井 光男

日本橋上空を走る首都高速道路を地下化して日本橋川の水辺空間を再生する構想について議論が活発化している。江戸開府以来、全国に通じる陸上交通の起点であり、水運の要衝でもあった日本橋は、経済と文化の中心であった。しかし戦後日本の高度経済成長の最中、東京オリンピック開催をひかえ、都心交通網整備の効率的な解決方法として川の上空に高速道路が設置されることとなり、街は分断され歴史的都市景観は埋没した。40年以上を経た今、日本橋の再生には約5,000億円の事業費がかかると言われている。これほどの巨費を投じて、この事業を行う意味は何なのだろうか。

私は昨年11月に韓国ソウル、今年7月に米国ボストンを訪問する機会を得た。ソウル訪問は二十数年ぶりであったが、オリンピック開催を経て、都市基盤整備も充実し、以前に比べ大変清潔感のある街になったことに感心した。今回の訪問で注目したのは清渓川(チョンゲチョン)の復元であった。清渓川はもともと朝鮮王朝の都であるソウルの中央部を流れ、政治・社会・文化を分ける地理的な象徴であった。しかし度重なる氾濫、人口集中による生活排水やゴミから引き起こされる環境悪化を封じ込めるため、1970年代までに全面的に覆蓋をして道路と高架道路を造ってしまったのである。ところが覆蓋によって文化遺産が失われ、都市景観の悪化や下水によるコンクリート腐食などによって周辺のスラム化が進行するといった問題を抱えることとなった。2002年、現ソウル市長の李明博氏は、これらの解決のために清渓川復元を公約として市長に当選、古都の歴史と文化を回復し、人と自然が中心となる環境に優しい街づくりを目指した工事は昨年秋に完了した。総工事費は日本円にして約470億円と言われている。

一方、ボストン訪問は約5年ぶりであった。相変わらず豊かな自然と歴史的建築の街並みによって落ち着いた時の流れを感じる都市である。目的の一つは通称BIG DIGを見ることであった。市の中心部を貫く高架高速道路を地下化して公園や緑地にし、分断されていたベイエリアと中心市街地を一体化したプロジェクトである。計画から四半世紀、ほぼ完成に近づき、歴史的都市の美しい景観と機能が再生された。総工事費は約1兆6,600億円と言われている。

高度成長に伴って急拡大した高速道路や鉄道高架は、都市機能にとって必要な基盤であり、都市効率を高め、物質的豊かさと新たな都市文化を私たちに与えてくれた。しかしそのために自然や歴史的環境は破壊され、失ったもの、犠牲にしたものも大きい。これらの海外事例のように一度失ったものを取り戻すのは、新たに造るより大変なことであるが、バブル崩壊後に注ぎ込んだ巨額の負担に比べれば、生きたお金の使い方ではなかろうか。美しい景観や歴史遺産などの土地のポテンシャルとそこで育まれた文化を生かすことは、今の時代に生きる私たち自身のアイデンティを残すことにもなる。後世の人々が心豊かに暮らせる環境を少しでも回復することは、物質的豊かさを享受した私たちの責務ではないか。

失われたものを取り戻す時