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特集 やっぱり設計は面白い!

やっぱり設計は面白い!
小泉雅生さん(小泉アトリエ/首都大学東京大学院教授)×
大草徹也(三菱地所設計常務執行役員) 対談

「建築家」の役割が変わってきたと言われる昨今。アトリエ系、組織系、それぞれのトップランナー であり、大学の同級生でもある2人が、意匠設計の過去・現在・未来について語ります。

01どのような学生時代でしたか?

大草
私たちが学部生だった頃、東京大学の建築学科では槇文彦先生や大野秀敏先生が設計製図を教えていました。製図室で一番初めに槇先生に建築家としての心構えを教わったことは非常に大きく残っています。
例えば、方眼紙をトレペの下に引くなとか、柱と壁は意味が違うから離せとか(笑)。
今もプランニングをする時には槇先生の言葉が浮かんできます。
小泉
当時は東京の都市論が盛んで、都市に対する考え方について相当影響を受けました。
ちょうど青山のSPIRAL(1985年)が竣工した頃で、フラグメンタルなファサードデザインや、通りからの人の引き込み方に衝撃を受けました。
大草
その後、ともに大学院に進学しましたが、私は香山壽夫先生(本郷キャンパス)、小泉さんは生産技術研究所(当時は六本木キャンパス)の原広司先生の研究室に進みました。
本郷と六本木は雰囲気が全然違って、オーセンシティ対アヴァンギャルドというか、ゲリラ的というか。
修了後の進路は、私は組織系への就職を選び、小泉さんは小嶋一浩さんたち大学院のメンバーと設立(1986年)したシーラカンスで設計活動をすでに始めていたよね。
小泉
原先生の影響が大きかったのか、生産研には独特の雰囲気があって、みんな独立志向が強く、普通の就職をした人の方が少なかったんじゃないかな(笑)。 そんな雰囲気の中で、進路をやすやすと決めていいのかという気持ちもあったし、 設計組織アモルフやワークショップなど、いきなり独立した先輩方もいて。 多少無茶をしてもなんとかなるだろうという楽観的な時代の雰囲気もあったと思います。
大草
バブル直前で、学部卒だと銀行とか商社に就職する人も多かった。
修士設計は何をしていたっけ?
小泉
当時出始めだったCGを使って、都市の中のパラレルな壁面にレーザーを当てた時の反射を表現するというものでした。
青山ツインタワーとか、河川の擁壁とか。
建物の微振動や川面の揺らぎによって光の紋様が変化していく。
都市で起こっている微細な現象を増幅して可視化するという趣旨だったのですが、あまり理解してもらえなかった記憶があります。
大草
僕は銀座に点在している稲荷神社を結ぶ多層にわたる参道のネットワークを計画して、槇先生と原先生には結構気に入ってもらえたと思ったんだけど(笑)。

02最近、意匠設計に学生が集まらないという話を聞きますが、実際どうですか?

小泉
確かに優秀な学生が意匠設計に進まない傾向があります。
進んだとしても独立志向はほとんどない。
そもそも、本当に賢い学生は建築学科に来ていないのかも(笑)。
日本は「ものづくり」で支えられてきたと思いますが、そこに興味をもつ人が少なくなったのはまずいと思います。
耐震偽装の事件やブラック業界の噂などがあって、建築設計という分野にいいイメージがないのかもしれないけど。
大草
確かに設計って大変だけど、チーム内で議論したり、異分野の人と話をしたりする中で、発想が広がっていく瞬間とか、やっぱり建物が完成して、そこで人が動き始める瞬間は感動的で、すごい喜びを感じるけどね。
小泉
自分が設計した建築で、当初の想定を超えて人の動きが展開したり、敷地を越えて街の雰囲気が変わったりして、アクティビティが育っていくのを目の当たりにすると、まるで自分の身体が拡張したかのような感覚になります。
さらには人の人生に影響を与えることもある。
実は私が設計した戸田市立芦原小学校(2005年)出身の学生が、昨年私の研究室に入ってきたんです。
芦原小では学校探険というのがあって、校舎を観察してなんでこうなっているのか考えてみる、という総合学習があります。
バリアフリーとか環境配慮を考える教材になっているわけです。
そういう流れの中から建築家になりたいと思う子どもも出てくる。
大変だからこそ面白い、と思った方が人生楽しい。
大草
それはいい話だね。
私たちも今よく使うアクティビティという言葉を、千葉市立打瀬小学校(日本建築学会作品賞受賞/シーラカンス/1995年)ですでに使っていたよね。
アクティビティを想定していろんな場をつくり、そこを使う側がまた別の意味づけをしていくような建築が今まさに求められていると思う。
フレキシブルに使えるユニバーサルな空間ではなくて多様な体験ができるつくり込みが重要なんじゃないかな。
小泉
大草さんが就職した当時は、まだ三菱地所の設計部門だったよね?
大草
若いうちから都市的なことができそうで、風通しが良さそうだなと。
実際、入社していきなり新橋駅前の再開発を任されて、同期の設備担当と2人で、右も左もわからない中、現場で本当に苦労したよ。

03お互いの設計活動をどのように見ていますか?

小泉
ローコストでタイトな条件の中でやりくりするのが常のアトリエ系からすれば、超高層ビルとか高級ホテルとか、ダイナミックなプロジェクトをできるのはうらやましい。
その半面、多くの関係者のなかで設計をまとめるって結構難しいだろうなとも思います。

「パレスホテル東京」

大草
基本的にはアトリエ系と組織系では扱うジャンルが違うけど、コンペで顔を合わせることもあり、やっぱりライバルですよね。
横浜港に面した「象の鼻パーク/テラス」(2009年)は、高架デッキから見ると本当にいい人の流れが生まれていると思うし、横浜最大の簡易宿泊所街である寿町の再生を担う「寿町福祉会館及び寿町市営住宅」(建設中)では社会的な課題に真っ向から取り組んでいる。
組織事務所でも、規模は違うかもしれないけど、社会性や公共性に対して挑戦的なアプローチをすることもできると思うんだ。

「象の鼻パーク/テラス」(2009年)

小泉
今は公共セクターが元気がなくなってきていて、むしろ民間が提供する公共性の方が注目されているような気がします。
常盤橋プロジェクトがどんな公共性を見せてくれるのか楽しみにしています。
あと組織系に期待するのは、もっと構造や設備の提案が前面に出てきてもいいんじゃないかということ。
大草
今、設計業界は細分化、専門化が進んでいる
だからこそ設備も構造も意匠も、横断的に見られる設計者が逆に求められている。
さらに、つくるプロセスをクライアントや地域社会と共有することも重要視されてきていると思う。
どうつくって、どう使うか、建築を取り巻く事柄全般に関わるのが、本来の建築家という職能のはず。
小泉
ミケランジェロみたいにね(笑)。
最近SDGs(持続可能な開発目標)という指標とか、ESG(E:環境、S:社会、G:ガバナンス)投資といった言葉が根付き始めていますが、もともと建築家自体がSDGs的な視点を持っているはず。
この世界がどうあるべきなのか、そのために建築で何ができるのか。
仕事を通じてそんなことを考えられるのも貴重だけれど、なにより大きなお金を動かしてそれをリアライズできるというのは唯一無二の職能かと。
やっぱり、設計って面白いよね。
小泉アトリエ代表/首都大学東京大学院教授
小泉 雅生 さん
JIA神奈川地域会の代表として、行政との連携や市民への建築文化の普及など、地域に根ざした活動も行っています。最近は建築の専門家として、居住する地域の街づくり活動にも関わっています。
三菱地所設計取締役常務執行役員/デザイングループ副グループ長
大草 徹也
社外活動としては、公益社団法人国際観光施設協会の理事として、ホテル・旅館などの整備改善提案、観光地の活性化・まちづくりについて取り組んでいます。2019年、『新建築』の偶数月の月評を担当します。