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連載|ものづくりの視点

団塊の世代の役割

岩井 光男

団塊の世代のリタイアによる技術の伝承について最近、新聞やテレビで取り上げられる機会が多くなっている。現在、私も先駆の一人である団塊の世代は情報技術革新やバブル経済崩壊以降の激変する社会環境の中で現役最後のホームストレッチを走っている。私たちが次世代に残せるもの、果たすべき役割は何なのだろうか。

先日、移植用の腎臓を誤って破棄してしまった医療ミスが報道されていたが、輸血、手術、薬品、麻酔など医療現場でのミスは絶えない。事故が起きる度に感じるのはそれに従事する専門家の頼りなさである。ミスが人の生命に関わるから事は重大である。同様に、建設業界でも設計や施工ミスによる事故が増え、訴訟件数が増大している。さらには耐震強度偽装問題のような職能倫理の欠けた建築士まで出る始末である。日常生活への影響度合を考えると大きな問題であり、専門家の頼りなさを何とかしなければと感じる。

「当たり前のことができない」と最近よく耳にするが、教育に問題があるのだろうか。教育界でもいじめや教師の質の低下に関する問題が毎日のように世間を騒がしている。最近では必修科目を履修したように見せかけて受験科目だけ教えている学校が数多くあったことが露見するなど、教育の目的を履き違えている学校の姿が明らかになった。「第二新卒」という言葉も最近メディアでよく取り上げられるが、せっかく企業に入社しながら簡単に転職していく若者が多い。社会環境に馴染めないことも理由の一つであるが、彼等の多くが自分の将来像を描けないでいるのは、受験優先教育の帰結であろう。

一方で団塊の世代は戦後の焼け跡に生まれ、ゼロから出発した。急激に変わっていく環境に揉まれながらも高度経済成長を支えた世代であり功労者である。圧倒的な数の同世代の中で競争を余儀なくされ、繰り返してきた。豊かさを求めるという至極単純な動機からであったが、家族との時間を犠牲にして成り立っていた。家庭を顧みなかった付けが、父親不在の受験競争や、熟年離婚という形で表れている。これはコミュニケーション不足以外の何物でもない。

今の若者は、このような団塊の世代の生き方を理解できないのだろう。職場でも若い人たちとのコミュニケーションが非常に難しくなっていると私自身実感している。多様な選択に迷う若者と無我夢中で目標に向け走ってきた世代とでは、コミュニケーションの質が異なっている。団塊の世代に今、求められているのは開かれたコミュニケーションの能力である。企業レベルでも情報開示が企業価値を左右する重要な要素と認識されたのは最近のことだが、社会とのコミュニケーションは社会的信頼を得るための基本であり、開かれたコミュニケーションは新しい企業文化づくりの基盤となる。そして魅力ある企業文化を創造するには、開かれたコミュニケーションの中で若者が自分の存在に社会的価値を見いだすことが必要である。技術の伝承も形だけの伝承では何の意味もない。団塊の世代は、残された時間の中で次世代の若者と心を通わせるよう努力することだ。過去の自慢話を一方的に吹き込むことや頭ごなしに叱りつけるのではなく、若者の悩み、迷いに耳を傾けながら、ものを造る喜び、楽しさ、誇りに気付かせ、自信を持てるよう応援する、それが最後の務めである。そのような努力の中で、“ものづくり”の常識を持ち、社会の信頼に応え得る専門家として次世代を担う若者が多数育成されることを期待する。

団塊の世代の役割