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連載|ものづくりの視点

グローバル経済とローカル文化の均衡

岩井 光男

8月中旬、気温摂氏50度を超すドバイ首長国を訪れた。午前4時頃ドバイ国際空港に降り立ったのだが、一瞬サウナに入ったような感覚に襲われた。その日の昼下がり、世界一の高さになった超高層ビルのブルジュドバイが砂煙や光化学スモッグの霞の彼方に蜃気楼のように揺れて見えたのが印象的であった。

ドバイはアラブ首長国連邦を構成する首長国の一つで、アラビア半島のペルシャ湾岸に位置し、埼玉県とほぼ同じ大きさの国である。19世紀中頃、英国の保護国となり、東インド会社の中継地として栄えた。1971年にアラブ首長国連邦が結成されてからは原油依存経済から脱却するために産業の多角化を進め、経済特区による外国企業や資本の進出を促してきた。2006年の経済成長率は16%に達し、中東で一番の繁栄を誇っている。現在、進行中および計画中の都市開発では、椰子の木や世界地図をモチーフにした人工島の別荘地開発、世界一の規模を誇るショッピングセンター、人がダンスをしているような「ダンシングタワーズ」やタワー部を90度ひねった超高層ビル「インフィニティー」など、ザハ・ハディド、SOMといった著名な建築設計者による前衛的なプロジェクトが目白押しである。

しかし、今回の訪問でこの開発に対していくつかの疑問を感じた。その一つは早すぎる開発スピードである。今のドバイには公共交通機関はほとんどなく、交通渋滞が慢性的に起きている。将来は鉄道網が整備されると聞いたが、インフラよりも住宅やオフィスビル、商業施設などの開発が先行し、それらは金融商品として建設前に売却される。また、出来上がる個々の建物のクォリティーは決して良いとはいえないように見受けられた。これは原油高や利回りを期待した世界中からの投資に後押しされていることを如実に表しているが、上海で高層住宅の価格が倍々ゲームのように高騰し売買されるなか、住人不在の状況になったのと同じ現象が生じている。

建築が投資の対象となること自体は悪いことではない。環境整備や社会的評価によって不動産価値が高まることは大変良いことである。しかし現在のドバイの都市開発はインフラなどの環境整備は置き去りで、人間がそこで生活するという実態が希薄である。また、建設関係における建築設計者、施工技術者そして労務者など外国人への依存度は非常に高い。人口の80~90%が外国人でそのうち60%がインド人を始めとする南アジアからの低賃金出稼ぎ労働者で占められているとも聞く。この街づくりは誰のためのものかと疑問もわいた。

これら新都市開発と比較して、バスタキアなどの旧市街地には、暑い地域ならではの独特の生活が染みついた古い建物群など風情を残した空間がある。香辛料、生地、金銀雑貨などの小売りの店が並ぶ露地は異国情緒にあふれ大変魅力的であった。

経済のグローバル化に伴い、均質な都市開発が世界各地を席巻しつつある。このままグローバルな経済とローカルな文化の均衡が図られなければどこも同じ金太郎飴的な都市が出来上がることになるだろう。歴史や文化を消し去られた土地は人を引きつける本来の魅力を失う。また、全地球的な環境対策を考えなくてはならない現代において、ただいたずらに世界一高いもの、大きいものを造るのでは未来に向けた持続的発展はあり得ない。ドバイには、原油が尽きても世界中の人々が訪れ、歴史、文化に触れ、交流ができる街づくりを目指してほしいと願う。

グローバル経済とローカル文化の均衡