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連載|ものづくりの視点

経済合理性を超えた復元の意味

岩井 光男

東京・丸の内再構築第2ステージの第1弾として、約1万2千m2の敷地に、「丸の内パークビルディング」(地下4階、地上34階のオフィス・商業ビル)の新築と、「三菱一号館」(地下1階、地上3階の美術館)の復元工事が進んでいる。今年1月中旬スタートした高層棟の鉄骨建て方は900tmクラスのタワークレーン4基による圧倒的な機械力によって7月末には上棟予定である。最高高さ173mの高層棟全体の工期はわずか27ヶ月である。一方で、昨年12月中旬に煉瓦積みが始まった三菱一号館も今年7月中旬には3階の壁が積み上がり上棟予定で、ともに来年4月竣工する計画である。これら新旧の工法の同時進行には大変興味深いものがある。

三菱一号館は、明治10年(1877)に来日し、多くの近代建築を残した英国人建築家ジョサイア・コンドルによって設計され、明治25年(1892)1月に着工、36ヶ月の工期を経て、明治27年(1894)12月に竣工した。英国ビクトリア時代のクイーンアンスタイルで棟割り長屋の平面形式を特徴とする丸の内最初のオフィスビルである。基礎は松杭、構造は帯鉄によって開口補強された耐震煉瓦造、屋根はクイーンポストトラスの洋風木造小屋組、屋根の仕上げは国産スレート葺きであった。時代の要請から昭和43年(1968)に解体されたが、今回、可能な限り忠実に復元することとなり、当時の設計図や文献をひもとき、解体時の実測図、保存部材などの調査によって当時の姿が詳細に明らかになった。復元に必要とされる煉瓦は構造煉瓦208万個、化粧煉瓦20万個で総数228万個にも及び、現在、煉瓦工、石工、鳶など一日に総勢約120名の職人が工事に携わっているが、重い外壁石を運ぶためにクレーンを利用する以外はすべて職人の手作業である。広くはない工事現場に職人が密になって煉瓦や石を積む様子は、コンドルの指導によって弟子の曾禰達蔵をはじめとする日本人建築家と職人たちが西洋建築に挑戦した時代が蘇ったかのような観があり、百年余りにわたって煉瓦職人たちの心と技が伝承されてきたことを強く意識させる。職人の確かな目によって高い精度と仕上がりを保ちつつ、すべての材料が人の手を経由して生み出される煉瓦壁には独特の質感があり、人の手の温もりが伝わるようである。しかし、残念ながら日本で今後、同じように完全な煉瓦造の建築をつくる機会は訪れないだろう。

一方、高層棟は一日千名前後の作業者によって工事が進められている。4月15日現在、地上23階まで鉄骨の建て方が進んでいるが、大きなボリュームの中では人影はないに等しく、巨大なタワークレーンがゆっくりと資材を持ち上げて行く姿が見えるだけである。日本に西洋建築が持ち込まれてから百年余り、建築はかなりのスピードで工業生産化され、その結果、施工精度や仕上がりの程度は均一化され工期も短縮された。その立役者は多種多様な建設機械であり、IT技術の進歩によってロボット化してより複雑高度な仕事をこなすなど、その進歩はとどまるところを知らない。

他の多くの生産現場と同様、建築現場でも永年培われてきた人間の手仕事が機械にとって代わることが経済合理性に適うのだろうが、煉瓦職人の技のように文明開化の時代を象徴する文化としての「ものづくり」の技術については匠の技を受け継ぐ仕組みが必要ではなかろうか。復元される三菱一号館はこれから数百年先まで生き続け、経済合理性を超えて造る人の心と技を伝えることができる建築となることを期待してやまない。

経済合理性を超えた復元の意味

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