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連載|ものづくりの視点

災害に強い街づくりの要

岩井 光男

5月2日ベンガル湾で発生したサイクロン「ナルギス」はミャンマー南部に上陸し、ミャンマーで過去最大級の被害をもたらした。ミャンマーの国営テレビは16日、死者約7万8千人、行方不明者約5万6千人と発表したがその後も被害は拡大している。同月12日、中国四川省でマグニチュード7.9の地震が発生した。6月5日の中国政府発表によると、死者約6万9千人、行方不明者約1万8千人となっている。時を置かず、6月14日、日本でもマグニチュード7.2、最大震度6強の地震が岩手・宮城を襲い、緊急地震速報も初めて実用されたが、死者・行方不明者22名を数える事態となった。甚大な被害をもたらしたこれらの災害から、改めて自然の破壊力に脅威を感じた。

日本では、死者・行方不明者数が14万人にも及んだ関東大震災(1923年)や、5千人に達した伊勢湾台風(1959年)をはじめ、過去多くの自然災害を経験してきた。特に、6千名を超える戦後最大の死者を出した阪神・淡路大震災は日本人の防災意識を改めさせ、各地で建物の耐震、耐火性強化、避難路の拡幅のほか、さまざまな取り組みがなされてきた。さらに、中国・四川大地震で小学校倒壊により多くの児童が亡くなったのを受け、日本でも小中学校の耐震診断・耐震補強の前倒しなど、積極的な動きが見られる。

必ず来ると言われている首都直下型地震など人口密集地域で起こる災害対策の充実は欠くべかざるものである。高度に発達し、便利で効率の良い文明に頼り切っている我々の社会には脆弱性が潜む。特に、少子高齢化や近所付き合いの希薄化といった社会の変化に対応したきめ細かな対策が必須となろう。地域防災を強化するために防災意識の向上や共有によってお互いに助け合う関係を再構築して行かなければならない。

阪神・淡路大震災では、被災した要救護者のうち約8割が家族、知人、隣人といった一般市民に救助されたという経験から、地域における防災意識の向上がもっとも重要であると認識された。防災施策の基本スタンスも変更され、公助に頼らず、自助・共助を優先するという原則が示されている。公助が頼りにならないと言われると、自分のところは大丈夫かと気がかりになるが、最近の防災まちづくりでは、行政や地域住民だけでなく、民間企業やNPOなど、あらゆる層の人々が相互に連携して地域の力を有効に活かし始めている。

その先駆け的存在の1つに、2004年に設立された「東京駅周辺防災隣組」がある。これは、個々の事業者の防災対策ではなく、「街としての」対策を検討し進めるべきという地元の発意により、東京駅・有楽町駅周辺地区の3町会を母体とし、「向こう三軒両隣」の精神で設置・運営されているコミュニティ組織である。災害発生時は、防災無線・インターネットを稼働し、安否や被害状況など情報の収集発信、支援場所の開設、救護活動、最小限の食料飲料水配布などを行うほか、ボランティアの統括も担当する。また、平常時は、防災・防犯まちづくり活動、防災訓練、啓発広報活動のほか、ビジネス街としての取り組みなど幅広く活動している。昨年、内閣総理大臣表彰と総務大臣賞、消防総監賞も受賞した。

都心での大規模災害では、在勤者以外に一時滞在者にも帰宅困難者が出ると考えられるが、その対策として受け入れ場所となるセイフティーゾーンの設定が必須である。ビルの共用部を災害時の応急・救護・連絡、避難場所として確保しようとする取り組みも広がりつつある。

建築設計者も、デザインや機能性に加え、日常から建物利用者同士の交流に使用できる空間、そして緊急時に連絡場所、避難場所として機能できる空間を積極的に盛り込むよう、考えていかなければならない。

災害に強い街づくりの要

災害に強い街づくりの要2