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連載|ものづくりの視点

200年住宅を設計するということ

大内 政男

一昨年、福田前首相が提唱した「200年住宅ビジョン」。成熟社会に相応しい豊かさを実現し、少子高齢化や地球環境問題への対応の一環として、作っては壊すフロー型の社会から、いいものを作り、きちんと手入れして長く大切に使うストック型の社会への転換を図るべく、超長期にわたって循環利用できる質の高い住宅、社会資産としての住宅を整備し利用していく仕組みを作ろうというのがその骨子である。

とても良い、そして深いビジョンであると思う。住宅は、生活の器として人がこの世に生を受けた瞬間から、一生涯、人の生活にかかわっている。家族・コミュニティの原単位も一個一個の住宅とそこに住まう人々であり、その存在は人格形成にとって根源的なものである。ライフステージによる住み替えも、ストックとしての良質な住宅が多くあれば、容易に出来るようになる。長寿命住宅は、非常に大切な社会的資産になり得る。特に、建て替えの合意形成が難しい集合住宅については長期に利用できる構造躯体などのハードと、それを可能にする管理運営などのソフト、さらにそれらを支援する法体系の整備が必要である。現在、この「200年住宅ビジョン」に基づく法制化を含めたさまざまな議論・検討が進んでいると聞いている。

さらにこの議論を深めていくと、日本の都市構造、都市景観からひいては都市計画や建築の諸規制を根本から考え直す良い機会にもなると思う。木造建築文化が基礎にある日本は、住宅が1代30年という短いサイクルで建て替えられる。そんな中、200年もの長きにわたり都市の構成要素としてその場に存在し続ける建築を作るということが本当に出来るのか、その重責を背負えるのか、自らを含めその設計に携わる者は問われることになる。

ライフスタイルやライフステージの変化、趣味趣向の変化に対応するいわゆるインフィル変更は技術的に可能であり、そうした住宅は現在でも数多くある。問題は容易に変えられないスケルトンがどう在るべきかである。構造体の耐久性や耐震性の話ではなく、建物の大きさや高さ、ファサードのデザインや、街並み・都市との関係の話である。現在の法体系と経済原則に準じて設計を進めれば、容積一杯の大きさ・高さの建物は1つの正解である。地区計画により、街路型の集合住宅を整備した幕張ベイタウンのような先進的な事例もある。しかしその住宅が、200年とまで行かなくとも、100年後もそこにあり、都市の一要素としてその街並みを形成するとなると、国民のコンセンサスはどうなるだろうか。

都市において集合住宅が圧倒的にその存在感を増し、都市景観の重要な要素となっている一方で、その建て替えの合意形成は困難を極めている現実がある。100年、200年先の都市、住宅のあるべき姿を今、考えることは困難かもしれないが、少なくとも30年、50年後の姿を考え、重要な資産としての集合住宅がどうあるべきかを考えることは、すぐにでも着手すべきことであろう。その延長線上に、新しい都市のビジョン、都市計画、建築規制のあり方も見えてくるかもしれない。

「200年住宅ビジョン」には、「良好なまちなみの形成・維持」も謳われている。これは「200年住宅ビジョン」の肝であり、おそらく最後に残される大変大きな、そして深い課題である。

200年住宅を設計するということ