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連載|ものづくりの視点

文化を語らない政治

岩井 光男

今年のゴールデンウィーク期間中の東京丸の内は、恒例の音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャパン」がショパン生誕200年をテーマに開催され、また三菱一号館美術館の開館を記念した展覧会「マネとモダン・パリ」の開催も重なり、芸術を楽しむ人々の賑わいとともに街は文化の香りに包まれた。街を行きかう人々の表情に豊かさを感じたのは私だけだろうか。

今、世界の潮流は「ハードからソフトへ」と言われ、両者が調和した社会への転換が求められている。例えば、世界の科学技術の進歩はめざましいものであるが、それらは私たちの生活に十分に生かされているかといえば、日常使用しているパソコンや携帯電話機などのIT機器、デジタル家電製品などの機能を100%駆使している人は少ない。高度な機能はすべての人が必要なものではなく、人それぞれのニーズや能力に合わせたホスピタリティなものに変えていくことが求められている。それこそ今後の科学技術が担わなくてはならない役割であると思う。人間の心を置き去りにした現代社会をより豊かで潤いのある社会にするには科学技術一辺倒では実現できない。人間の心を読み解くソフト面の開発が必要不可欠である。その心を読み解く一つの鍵が文化芸術にある。日本は文化芸術について世界に誇れるものを多く持っている。優れた科学技術を基盤にして文化芸術の環境をつくることは、日本の固有文化の継承や多様な創造活動にとってさらなる飛躍の場をつくることになる。

2009年の衆議院総選挙を圧勝した民主党政権が発足してから8ヶ月、時事通信社の調査を見ると内閣支持率は発足時の60.6%から今年4月16日現在で23.7%まで落ち込んでいる。その民主党が掲げたキャッチフレーズ「コンクリートから人へ」は、今や日本の景気停滞の元凶としてメディアの一部に取り上げられている。私はコンクリートも人も大変重要と考えている。コンクリートをハード、人をソフトと置き換えて考えれば、相互を最適に組み合わせて考えたほうがより豊かで魅力的な社会を構築できるのではないだろうか。しかし公共建築を「ハコもの」と言ってはばからない政治家に、建築がハードであると同時に芸術性をも備えた人間の文化的資産であることをどうやって理解してもらったら良いのだろう。

文化芸術に関する法律でも、その振興について基本理念を定め、国および地方公共団体が文化芸術活動をサポートするという文化芸術振興基本法が2001年12月に施行されたが、しかしこの基本法を効果的に運用しているという話は聞かない。建築、美術、工芸、音楽、文学、写真、演劇などの芸術、能楽、歌舞伎などの伝統芸能、映画、アニメーションなどのメディア芸術など、世界でも高い評価を受ける固有の文化を創造、継承している日本のソフトパワーの活用は必ず日本を活性化すると確信している。企業メセナも経済的不況にもかかわらず、あえて企業名を正面に出さないメセナが展開されるなど、規模は縮小しつつも裾野は広がっていると聞いている。昨年の行政刷新会議の「事業仕分け」で、多くの文化芸術関連の予算が縮減・廃止すべきと判定されたが、民間の企業経営者が社会的責任感から日本の文化芸術の育成に貢献している姿を日本の政治はただ見守るだけなのか。高い文化的価値は高い経済的価値を生み、経済の活性化に役立つ。また日本の文化芸術に対する国際的評価が高まれば文化的先進国として尊敬される国になる。そのために、文化芸術への理解と具体的な施策を求めたい。

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