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連載|ものづくりの視点

都市景観美の原点

岩井 光男

米国の写真家チャールズ・ウィード(1824~1903年)が幕末の1867年に各地を撮影した写真の中に「愛宕山から見た武家屋敷」のカットがある。文部省唱歌「鯉のぼり」の詩の一節「甍の波と雲の波。重なる波の中空を・・・」を彷彿させるような江戸の街を俯瞰した景観写真である。和瓦の続く家並みが実に美しく感じられた。それとともに当時の庶民や武士の生活が見えてくるような気がした。街並みや景観はそこで暮らす人々の人柄が表れる。時代小説作家の藤沢周平によって描かれた庶民や下級武士の哀歓が漂っているようにも思えた。この景観が当時来訪した米国人の写真家の心を強く捉えたであろうことは想像に難くない。

さて、現代の東京の景観はどうであろうか。先日、東京銀座のある高層ビルから銀座の街を俯瞰する機会があった。多くのビルの屋上は設備機械とその配管が走り回り、クーリングタワーのファンが回っている。さながら化学プラントのような有様である。地上面を歩く人々にとっては多様なファサードデザインによって魅力的なショッピングエリアである銀座も高層ビルから見下ろすと内臓を露出させたような醜さが気になった。建物が高層化するとともに私たちは街を俯瞰して見ることが多くなってきている。奇を衒ったファサードデザインで道行く人々の関心を引くことばかり考えないで、頭の上からも見られていることを意識してほしいものである。

一方、住宅地で気になるのが電柱、電線である。街から電柱が消えるだけでも今より景観が美しくなるとは長らく言われていることだが、都心の一部を除いて電線の地中化はなかなか進まない。道を歩きながら空を見上げれば電線、電話線が空中を縦横に走り、空だけを見ることは不可能である。俯瞰的景観の邪魔にもなっている。さらに、最近では地球環境に対する配慮から太陽光発電や太陽熱利用のパネルを屋根に載せた景観が住宅地でも目立つようになってきた。これもただパネルを載せただけという状態で、建築のデザインと調和せず、景観を悪くしている。これからもいろいろな設備機器が開発され建築に後付けされていくのであろう。私たちは科学技術の進歩によって快適で便利な生活を手に入れたが、それらのエンジニアリングと建築や景観との調和は今日まで図られてこなかった。近代文明が発展するなかで発明された自動車、電車、飛行機などが、速さという機能とともにそれに乗る人間の快適性を実現するため空調や通信、電気設備も一体的にデザインを融合させ、形や空間の美しさを追及してきたのとは対照的である。

100年を超える長寿命を求められる現代の建築物にとって、次々と現れる最新の設備機器とデザインを融合させることは容易ではない。しかし美しい景観づくりのためにはエネルギー、通信、電気、空調などのエンジニアリングとランドスケープ、建築のデザインの融合を考えて行かなければならない。縦割り的なエンジニアリングと建築デザインでは都市や建築の空間は良くならない。そのためにはこれらのエンジニアリングが深く建築設計に関わり、後付けではないデザイン的融合を実践しなければならない。建築設計者の意識も変わってほしい。建築は地域特有の気候、民族、文明などによって人間の多様な文化的側面を表すものである。またそこに暮らす人々の心が景観に表れていると言える。和瓦の家並みが美しかった時代の景観を超える空間を、現代に生きる私たちの環境デザインで創らなければならないと考えている。

都市景観美の原点