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連載|ものづくりの視点

匠の技とDIY

豊泉 正雄

4年前の春、父が92歳でその生涯を閉じた。父は私の自宅の隣に築後50年に近い小さな平屋建て木造住宅を遺した。晩年はほとんど使用されず、荒廃が進んでいた。父の思い出を留め、また自分を育んでくれた器の再生を図るため、この小住宅を人に頼らず、自らの手で現代に甦らせてみようと意を決し、着手以来、竣工に至るまで休日には懸命に汗を流したものの当初半年だった想定工期は倍の一年に膨れ上がってしまった。

60年前、私は今も暮らす東京、板橋の家で生まれた。振り返れば、中学生時代の趣味の鳩舎築造から、今回のリニューアルに至るまで、結婚や子どもたちの成長に合わせ増改築、減築、リニューアルなどの工事を通算6回実施し、その度に、これらの在来木造住宅はその時々の私と家族の要求を的確に満たしてくれた。

その構成材料は環境汚染のない土、木、紙などの天然の素材であり、自然の恩恵を最大限受け入れ、自然の厳しさを和らげる工夫に富む構成は、断熱性能・機密性能については補完されねばならぬが、ZEH(Zero Energy House)の典型である。その主要素は、南側に配された今で言うダブルスキン構造の縁側テラス、南に差しかけられた深い庇と日本瓦の屋根で覆われた小屋裏空間、そして主要居室の室内気候を保護するために工夫されたさまざまな要素のプランニング構成にある。真夏の基礎健全性確認時に味わった床下空間の一服の清涼感に、また初冬の耐震補強時に感じた小屋裏空間の日差しの恵みに、優れた環境性能の原点を感じた。さらに伝統的な木組み工法であるがその継ぎ手は50年を経ても全くと言って良いほど劣化はなく、制震ダンパー性能への期待も確信させてくれた。

今回のリニューアルを通じ、地球環境の保護が最優先課題になっている今日にこそ、改めて伝統木造建築の本質を、独自の誇れる文化の一つとして継承し、発展させることへの期待の思いをふくらませたが、それとともにもう一つ思い至ったことがある。それは、自分でやってみようとする意志の大切さと実体験の意義についてである。

昨今のインターネット社会では、世界のあらゆる情報を何の苦労もなく瞬時に手にすることができる。一方、サービス産業や製造現場では厳しい過当競争の下、高い品質のサービスや製品を低廉なコストにて効率的に供給することが強く求められ、米先端企業が世界戦略に用いたマニュアル戦略が当然のように過剰に実施されている。建築の生産工程も例外ではない。

ネット社会に溺れ、膨大なマニュアルに手足を縛られ、想像力の翼を羽ばたかせることも物事を原点に立ち返り考えることも効率の名の下に許されず、若い有能な人たちの心の底から生み出される筈の夢や思いも、またその思いを実現する強さや勇気も現代社会における障壁の前では容易にかき消されている。この事態への特効薬や鍵があるとすれば、昭和初期の焼け野原から立ち上がった日本人や西部開拓史のアメリカ人が持っていた「自分たちのことは自分たちで考え行動しなければ生きてゆけない」という切羽詰った環境から生まれる精神性にあり、その実体験を積み重ねた者が持つ人間としての強さと逞しさの中にあるのではないだろうか。

世の中の状況を考えれば、昔を懐かしがっていても問題解決にはならず、「DIY運動」を小さな部分からできるところから考えて実行してみたらどうだろう。自分の手でさまざまな材料に触れ、実際に加工したり、壊したりすることにより取得できる対象物の性格を手と感覚で覚えることは極めて原始的ではあるが重要で楽しいことである。

職業柄、経験と技術に裏打ちされた匠の方々の仕事を当然のごとくに享受し、時にはその出来映えに異論を差し挟んでいた筆者が、今回、自分自身で工夫し、材料を買い集め、限られた時間の制約の中で、汗を流し施工を行った。その結果はもちろん、匠がその技量を尽くして造り上げたものとは全く比較の対象にもならない。しかし、自分なりの思いとエネルギーが込められている不細工なディーテールは、不思議と愛おしく思えると同時に、光り輝いて見えるのである。

匠の技とDIY