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連載|ものづくりの視点

変容する地下ネットワーク

大内 政男

一枚の地図がある。「地下の歩ける丸の内」という名の地図である。これは2008年に、ある建築雑誌の特別企画として変わりつつある丸の内を特集した際に、東京大学の千葉研究室の皆様が作成したものである。有楽町から丸の内、大手町までのエリアの一階と地下一階レベルの詳細な図面により構成された地図の他、「歩ける丸の内」として、開館時間中は一般の人も自由に通行できるビル内の歩行者ネットワークを示した地図などが作成されている。特にこの「地下の歩ける丸の内」からは、東京駅丸の内側の地下広場を中心に、大通りから次第に枝分かれしたごく小さな通りまで、血管のような有機的な歩行者ネットワークが形成されているのが見て取れる。人々にとって、地下のネットワークはその実態としての姿が明らかではなく、また、普段何気なく使用しているネットワーク経路上の各ビル内の通路や公共的な通路との境界領域を、それと意識する事なく通過している現実があり、地上のビルや道路、そして地下鉄の駅や路線などを重ね合わせて見てみると、地下のダイナミックな空間構成が想像できて大変に興味深い。

このネットワークは、東京駅と地下鉄の各駅を結ぶ公共地下道がその動脈となっており、一方は東京駅丸の内側からJR線を横断して八重洲側の大きな地下街へ続き、またもう一方は日比谷を経由して銀座4丁目を通り歌舞伎座のある東銀座まで続く。地下道としては世界でも類例のない長大なものである。しかしながら、造られた時代も整備主体も違い、各所に段差解消の階段等があり、またその公共地下道としての性格上様々な制約もあり、世界に誇れるものでありながら必ずしも快適な歩行者空間とはなっていない。これは、このネットワークの解決すべき大きな課題である。とはいえ、雨風をしのげ、駅と目的地を結ぶ信号待ちのないこの地下道を、多くの人々が利用する。

最近、歩行者空間として面白くなってきたのは、この地下道に直結する各ビルの地下街である。以前はビル内で行き止まりの地下街がほとんどだったが、最近では公共地下道からビルの地下街を通過して隣のビルの地下街へ続き、さらにその先の公共地下道へとつながる回遊性ができあがり、それぞれのビルの地下店舗がひとつの商店街を形成している。たとえば、東京駅と大手町地区とを結ぶ「丸の内オアゾ」。ビル群の間に自由通路を設け、朝は多くの人が東京駅から大手町方面へ向かうなか、コーヒーや軽食を提供する店が賑わい、夕刻になるとビジネスマンたちが帰り際に一杯楽しむ光景も見られ、通路であるとともにりっぱな商店街となっている。この2月には丸の内に新しいビルが完成し、永代通り下の公共地下道からこの新しいビルの地下街を通り抜け、隣のビルの地下街を経て新丸ビルの地下街へ、さらに東京駅前の行幸通り地下ギャラリーを通って丸ビル地下街へとつながる新たなネットワークが誕生する。東京駅周辺は、八重洲側も含め数多くのプロジェクトが今年竣工、オープンする。そして同様にビルの地下街と地下街がつながる、新たな歩行者ネットワークができる予定と聞く。楽しみである。

また、近年この地下道と個々のビルの接続にも様々な工夫がみられるようになってきた。たとえば地下道とビルが接続する部分が地上階まで吹き抜けとなっており、自然光が差し込むサンクガーデンのように見せる手法は、東京に限らず各地で実現している。もちろん防災面の配慮は最大限に行う必要があるが、こうした工夫はもっと行っても良いと思う。

公共地下道とビルの地下街が有機的につながって賑わいのある空間が連続することにより、通路としての機能しか持たなかったものが、歩いて楽しい空間に変容していく。こうした界隈性のある地下ネットワークは、東京の新たな観光スポットになりうると考える。丸の内を訪れる海外の来訪者、特に東アジアの方々は、この東京駅周辺の地下ネットワークに大変な興味を示す。日本の重要な都市インフラの一つとして、この地下ネットワークのノウハウと実例は、海外でも高く評価されていくと考えている。

変容する地下ネットワーク