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連載|ものづくりの視点
ネットワーク化する仕事
河合 康之
私が生まれた1957年、高度経済成長の時代に入った日本の人口は9,100万人。1960年には太平洋ベルト地帯での工業開発を重視した国民所得倍増計画が発表された。1962年には「地域間の均衡ある発展」を基本目標に、拠点開発方式とする第一次全国総合開発計画(一全総)が策定され、当時、農業が重要な産業で田畑の広がるのどかな故郷の豊橋は工業整備特別地区に指定された。
東京で土木工学を学び、社会人となった1983年には、人口は1億2000万に達している。この前後には田園都市構想(1980年)、四全総(1987年)が策定され、東京一極集中や地方の雇用問題、本格的国際化への対応として、多極分散国土の構築を目指し、交流ネットワーク構想が打ち出されたが、現在の急激な人口減少や少子化、情報化への対応はゆっくりしたものであったと今にして感じる。
それでも、地区計画の導入などの都市計画制度の変化、世界的な都市間競争に対応する構造改革特区や都市再生特別地区の導入、NPOなどの新たな公共への視座、特色ある都市・地域を形成しようというまちづくりの努力は連綿と続けられてきた。しかし、様々な兆候や備えは、社会保障や財政再建等、社会経済が中心に議論がされてきたように思う。社会潮流として「大きな物語」はもはやないと言われて久しく、水野和夫氏著の「資本主義の終焉と歴史の危機」では、グローバル化の中、広大にあると思われていた周辺地域も情報化・都市化の急速な進展により想像以上に早く消滅し、現在の資本主義をどのようにソフトランディングさせるか、その必要性が叫ばれている。
こうした中で、日本創生会議の人口減少問題検討分科会(増田寛也座長)の調査内容が「極点社会が到来する」(2013年12月号)、 「消滅可能性都市896全リストの衝撃」(2014年6月号)として中央公論に掲載された。ここに、日本に人口減少社会への警鐘が鳴らされ、その危機意識は広く認識されるものとなり、「国土のグランドデザイン2050」でも、急激な人口減少・少子化が時代の課題の一番目に掲げられ、コンパクト+ネットワークの意義と必要性が強く謳われている。政府においても、2050年に人口1億人維持を目標に、地方創生として「まち・ひと・しごと創生本部」を立ち上げ、異次元の政策をスタートさせている。日本において、もっと足元を見なければならない大きな課題がここにはある。
自らの仕事を振り返れば、入社当時はゆっくりした社会潮流の中、新たな住宅団地開発等のまちづくりに土木技術者として従事し、平成になって都市間競争が激しくなり、大都市の都市再開発事業での地下施設、とりわけ地下ネットワークの形成に取り組んできた。根幹の鉄道駅のコンコースとさまざまな用途・機能を有する建物を繋ぎ、人を回遊させ、それぞれの建物にとってもウィンウィンの関係ができたことは存外の喜びである。
創生本部が関わることはハードとソフト両面であり、今後の日本のまちづくりでも注視すべき点は、その両面におけるネットワーク化である。そして誇りの持てるまちに生まれ変わらなければ、人口減少を目の当たりにして目指すべきコンパクトシティにはなり得ない。根本のところでまちの誇りを支えるのは、都市の大小に拘わらずそのコンテンツであり、本来のまちの持つ美しさ、文化がベースになる。そのために美しい景観や文化、情報基盤を含む社会基盤等をネットワーク化し、まちのクオリティストックの向上に注力する必要がある。私自身も組織や個人にとっても異次元ということで見えなかった、いや、あえて見なかっただけの事象を、まちづくりの場を通してしっかりと見つめていきたいと思う。