LIBRARY

特集 GINZA KABUKIZA

先代歌舞伎座の
“目に見えない良さ”を継承する。
設計チーフ
建築設計四部 石橋 和裕

歌舞伎座というハードとしての形が定まっている中に、最新技術を含めた様々な要素を入れこむという、
そんな困難な使命を与えられたのが設計チーフだった。何度も壁にぶつかりながら、
すべての難局をクリアできたのは、各部門のプロフェッショナルの技術力と知恵を結集させた、
三菱地所設計ならではの実力だった。

「第四期歌舞伎座の機能を継承し、より発展するための新しい機能を付加すること」これこそが本プロジェクトの大きな柱でした。しかし、ハードとして枠組みが決まっている中で、最新技術を含めたさまざまな要素を入れこむには物理的なスペースに制約が多く、設計する立場としてはかなり厳しかったですね。でも、本当に難しいのは実はハードではなく、歌舞伎座には確立されたソフトが存在していた点なのです。単なる使い勝手としてのソフトにとどまらず、役者さん、裏方さん、さらに多くのお客様たちがそれぞれに抱いている記憶や感覚、フィーリングという、「目に見えない良さ」。それが先代の歌舞伎座にはあったのです。そこに、新しい機能を融合させるには、多大な時間と労力が必要でした。つまり、このプロジェクトにはそんな「目に見えないもの」を継承して設計する力が求められたのです。それに応えるためには、ただセンスのいい優秀な設計者がいるくらいでは太刀打ちできません。意匠、構造、設備、電気、工務…各部門の力を結集し、それぞれの経験と知恵を重ね合わせることで、この難題に挑んでいきました。そして、実際に応えることができた。当社の強みを最大限に生かして、このハードルを越えられたのだと、私は確信しています。

確立されたソフトに新しい機能を融合させる

まるで扉のカギが開くように解決策が見つかった

しかし、各局面では途方に暮れることも多々ありました。関係者が多く、それぞれの要求に応えていかなくてはなりませんし、設計するにも他に参考となる事例がないこともありました。第四期を踏襲すると言いながら、同じ素材が使えなかったり、寸法的に成り立たなかったり。膨大な検討項目に対して時間が足りない…。何度も壁にぶつかりました。

最初の大きな壁は構造形式でした。第四期の歌舞伎座は鉄筋コンクリート造でした。それに対して今回は鉄骨造。鉄骨造だと「音響面で遮音性が保てないのではないか」「第四期の外観イメージが変わってしまうのではないか」などと反対意見もありましたが、各担当と話し合い、「この計画は鉄骨造でしか成立し得ない。その他の問題は工夫を凝らして解決しよう」と決断しました。当時、第四期歌舞伎座の解体調査前でしたが、昔の鉄筋コンクリート造の重量感からすると、現在の鉄筋コンクリートでは重過ぎるかもしれないという感覚がありました。果たして実際に解体すると、できるだけ内装を軽く支えようとした痕跡があり、鉄骨造で設計を進めたことが間違いではなかったと確信しました。

鉄筋コンクリート造から鉄骨造へ大きく変わった歌舞伎座

構造面では、劇場エントランスである大間や木挽町広場(写真:都市計画・ランドスケープページ)の計画も難題でした。大間の赤く塗られた丸柱の直径は約60cmです。デザイン的にはこの柱寸法を変える訳にはいかない。「超高層建築の柱寸法ではない…」と悩む構造担当と何度も打ち合せを重ねて、これまでの大間のイメージを壊さない、第四期の尺寸の柱割を踏まえた構造的な骨格を見つけ出すことができました。複雑に関係する大間の吹き抜け、大階段、屋根、そして客席のバルコニー床を支える梁すべての関係が解けた瞬間でした。

東銀座駅から直結する木挽町広場には構造上抜くことのできない、客席を支える柱があります。 第四期にとらわれる必要のない新たな空間ですが、「広場」なのに柱を入れなくてはならない、下には大規模駐車場があるので、柱を打つ位置もままならないという悩ましい場所でした。検討を進める中、広場中央に4本の柱を寄せると全て解決する道が見えてきました。広場の中央に櫓(やぐら)があると思えば、柱も不自然でなくなったのです。

物理的な要求を解決するだけでなく、「歌舞伎座としてどうあるべきか」に考えが及んだ時に初めて、まるでそれまで閉ざされていた扉のカギが開くかのように解決策が見つかった気がします。

大間の丸柱

各職能の技術力と知恵の結集でゴールに辿り着いた

客席の竿縁天井(さおぶちてんじょう)の折上げ部分に音響反射板を新設したのは、第五期歌舞伎座で一番変化が見て取れる部分だと思います。1階席の音響を改善するための策でしたが、かまぼこ型の丸い天井に平らな天井を組み込み、間接照明を違和感なく仕込む、しかもその場所は客席から一番見える舞台寄りの天井という、非常にデリケートな検討でした。設計段階では「そもそも立体として破綻しているかもしれない」と不安になりましたが、共同でデザインを担当した隈研吾建築都市設計事務所(以下、隈事務所)、音響設計の永田音響と検討を重ね、実現可能なところまで設計を練り上げました。

現場に入ってからは、照明との調整が課題でした。客席の照明とはいえ、舞台演出に合わせたスムーズな明暗の操作が求められたのです。LEDの器具を調光するだけでも大変なのに、その明かりを見たこともない形の天井面で受けて違和感のないよう仕上げる。事業主である松竹や歌舞伎座の方々にも製作現場に足を運んで頂いて、本当に総力戦で音響的にも照明的にも納得のいく形に辿り着きました。親しまれてきた天井の意匠と照明に音響の提案が融合し、また一つ新しい歌舞伎座の目玉が生まれたのです。

歌舞伎座は世界で唯一の歌舞伎の殿堂であり、ほかに類例がない建物です。これまで我々が培ってきた設計経験の全てをつぎ込んだと言っても過言ではありません。みんなでギリギリまで考え抜き、各職能が発想力を駆使し、時にはアクロバティックな解決方法も生み出しました。三菱地所設計が誇る技術力と知恵を結集することで、事業主や舞台関係の方、さらには歌舞伎を愛する皆様の想いを形にするお手伝いができたのだと思っています。

※本特集は2013年に取りまとめたものです。各担当者の肩書きなどは、その当時のものです。