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特集 歴史的建造物の「継承設計」

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[ Know-How 01 ]

豊富な実績が生んだ幅広い継承の手法

東京・丸の内で3世代にわたる街づくりを担ってきた三菱地所設計は、
歴史的建造物を生かした「継承設計」の分野で豊富な実績を誇っています。
建物を継承する手法はプロジェクトごとに違います。
建物の価値や求められる機能、また敷地条件などによって、採用すべき手法が異なるからです。
当社では計画案をつくるにあたって、建物の価値、安全性の確保、
事業性のバランスを考えて、最適な活用・継承の手法を導き出してきました。


※本特集は2016年12月に取りまとめたものです。各担当者の肩書きなどは、その当時のものです。

近代建築保存運動の黎明期から

1968(昭和43)年、初代の三菱一号館が取り壊される時に「保存すべし」との声が上がりました。日本における近代建築の保存運動のはしりです。この時は総合設計制度による容積率割り増しなど、保存を促す都市計画制度もまだありません。建物は解体せざるをえませんでしたが、これが当社が建築保存について真剣に考えるきっかけとなりました。
1970年代になって、三菱銀行本店ビルや日本郵船ビルを建て替えた際に、オーダー柱の柱頭部を中庭に残したり、テラコッタ製の装飾を外装の一部に残すなどの方法が採られました。こうした部材保存が、当社のこの分野の前史にあたります。
そして1993(平成5)年に東京銀行協会ビルが竣工します。敷地には以前、横河工務所の松井貫太郎によって設計された東京銀行集会所が立っていました。建て替えの需要があり、一方では保存要望書も出されて、保存と開発をどう両立させるのか、当社が初めて取り組んだ事例となりました。結果として出来上がった建物は、構造からつくりなおし、古材を再利用しながらファサードの再現をしています。この手法は「かさぶた保存」とも呼ばれ、賛否両論の評価をいただきました。

「保存」ではなく「継承」

これを踏まえて、さらに積極的に保存と開発の融合というテーマに取り組んだのが、わたし自身も携わった日本工業倶楽部会館です。このプロジェクトは隣の敷地を含めた一街区の開発となり、もとの建物を残した開発が行われました。建築は外観ばかりではなく中も大事であるとの認識から、内部空間の保存も行っています。
歴史的建造物を継承する設計では、まず調査を行った上で、建物の歴史的価値の位置づけと所在の確認、安全確保のための課題の抽出と克服法の検討、事業性と諸制度の検討という3つをバランスを取りながら議論し、結論を導いていくことが求められます。日本工業倶楽部会館は、そうしたことを行った最初期の例ではないかと思います。その後、当社では、明治生命館、国際文化会館、大阪証券取引所、三菱一号館、東京中央郵便局舎、歌舞伎座などを続けて「継承設計」を手がけてきました。
「建築保存」ではなく「継承設計」という言葉を使うのは、後世に伝えるべき価値と手法が多様化してきているからです。例えば日本工業倶楽部会館で、保存したのは建物の3分の1、残りの3分の2は構造躯体の問題をかかえていたため再現です。建物の価値を最もよく残す方法は全体を凍結保存することですが、お寺の五重塔のような機能をもたない建物ならいざしらず、都市に立つ建物であれば、活用を前提に手を入れないことには存続が困難です。日本工業倶楽部会館の計画では、全体保存、部分保存、全体再現、全体更新などと10種のパターンを検討しました。活用と継承の最適解を導くことが重要なのです。

都市開発と一体となった継承・活用

歴史ある建物を所有する建築主は建物の価値を判断できず困っていることがあります。その場合、求められれば文献や目視による簡単な調査を実施し、「この建物にはこういう価値があります、残すためにはこういう課題がありますが、こういう方法をとれば可能になります」といった報告を行います。この段階ではそれほど費用はかかりません。これを学識者に相談すると、「とにかく建物を残しなさい」と言われてしまうのではないかと思われています。わたしたちは、残すかどうかはまず留保して、建物の価値と課題についての所見を作るというところから始めるので、建築主も声をかけやすいようです。
最近では「レンガ造の建物があるのですが、どうしたらいいでしょう?」といった相談が、各所から寄せられてきます。わたしたちの取り組みに対して社会のニーズが高まっていることを感じます。計画を進めるにあたっては、建物の歴史的な価値の確認から始めて、構造、防災、バリアフリーなど、安全確保のための課題を解決し、さらには建物保存にかかる費用をどう賄うかといった事業性やそれに関連した補助制度を調べて、総合的な検討を行います。特に都市開発と一体となった活用・継承の手法を提案できることは、三菱地所設計の強みと言えるでしょう。

建築設計三部
野村 和宣

《 活用・継承手法の検討フロー 》

《 実績一覧 》

明治

丸の内パークビルディング・三菱一号館
[ 旧建物名称:三菱一号館 ]

設計概要
開発の中で歴史的建造物を忠実に復元。街の歴史を伝え、美術館として活用することで都市文化を創造した。
所在地: 東京都千代田区
旧竣工年: 1894(明治27)年
1968(昭和43)年解体
旧設計者: J・コンドル、丸ノ内建築所(曾禰 達蔵)
旧構造/規模: 煉瓦造/地下1階・地上3階
継承種別: 復元+開発
竣工年: 2009年
[ そのほか ]
・豊平館附属棟 ・旧長崎英国領事館 ・慶應義塾図書館(旧館)
大正

東京銀行協会ビル
[ 旧建物名称:東京銀行集会所 ]

設計概要
開発の中で歴史的建造物を継承した先駆例。このプロジェクトでの賛否両論の
評価が、後の当社の「継承設計」発展につながる。
所在地: 東京都千代田区
旧竣工年: 1916(大正5)年
旧設計者: 横河工務所
旧構造/規模: 煉瓦造/地下1階・地上3階
継承種別: 部分再現+開発
竣工年: 1993年

日本工業倶楽部会館・三菱UFJ 信託銀行本店ビル
[ 旧建物名称:日本工業倶楽部会館 ] *国登録有形文化財

設計概要
開発の中で歴史的建造物を部分保存によって継承。継承手法検討のプロセスを確立した草分け的存在。
所在地: 東京都千代田区
旧竣工年: 1920(大正9)年
旧設計者: 横河工務所
内装: 鷲巣 昌
旧構造/規模: RC造/地下1階・地上5階
継承種別: 部分保存+開発、耐震改修
竣工年: 2003年

GINZA KABUKIZA
(歌舞伎座・歌舞伎座タワー)[ 旧建物名称:歌舞伎座 ]

設計概要
歌舞伎の殿堂としての伝統を継承進化させるとともに、複合開発の中で歌舞伎文化の発信拠点を構築した。(共同設計)
所在地: 東京都中央区
旧竣工年: 1924(大正13)年
1950(昭和25)年改築
旧設計者: 岡田 信一郎
改築: 吉田 五十八
旧構造/規模: SRC造/地下1階・地上4階
継承種別: 継承+開発
竣工年: 2013年
[ そのほか ]
・清泉女子大学 本館[旧島津侯爵邸] ・丸の内ビルディング[旧丸ノ内ビルヂング]
・東北大学AIMR 本館[旧東北帝国大学工学部金属工学教室]
・三菱東京UFJ銀行 京都支店[旧三菱銀行京都支店]
昭和



JPタワー
[ 旧建物名称:東京中央郵便局舎 ]

設計概要
大規模な歴史的建造物を部分保存しながら開発を両立。旧建物と新築によって時間を対比させる空間を創造し街とつなげるという新たな継承手法を導入した。
所在地: 東京都千代田区
旧竣工年: 1931(昭和6)年
旧設計者: 逓信省営繕課(吉田 鉄郎)
旧構造/規模: SRC造/地下1階・地上5階
継承種別: 部分保存+開発、耐震改修
竣工年: 2012年

明治安田生命ビル街区
(丸の内 MY PLAZA)[ 旧建物名称:明治生命館 ] *国指定重要文化財

設計概要
特定街区を活用し、高容積を実現しながら重要文化財建造物の全保存を実現させた。(共同設計)
所在地: 東京都千代田区
旧竣工年: 1934(昭和9)年
旧設計者: 岡田 信一郎
旧構造/規模: SRC造/地下2階・地上8階
継承種別: 保存+開発
竣工年: 2005年

大阪証券取引所ビル
[ 旧建物名称:大阪証券取引所市場館 ]

設計概要
歴史的建造物の部分保存による継承を図った再開発。
所在地: 大阪府大阪市
旧竣工年: 1935(昭和10)年
旧設計者: 長谷部竹腰建築事務所
旧構造/規模: SRC造/地下1階・地上5階
継承種別: 部分保存+開発
竣工年: 2004年
[ そのほか ]
・(仮称)錦二丁目計画[旧名古屋銀行本店ビル] ・一橋大学 兼松講堂 ・学習院大学 南1号館[旧理科特別教場]
・北海道大学 総合研究棟改修(理学系)[旧北海道帝国大学理学部本館]
・日本橋ダイヤビルディング[旧三菱倉庫江戸橋倉庫ビル] ・名古屋市本庁舎 ・築地本願寺境内整備計画
・北海道大学 環境資源バイオサイエンス研究棟改修[旧北海道帝国大学農学部本館]
・神戸市立博物館リニューアル工事[旧横浜正金銀行神戸支店] ・慶應義塾大学(日吉)寄宿舎南寮改修工事
昭和



国際文化会館本館
*国登録有形文化財

設計概要
戦後の著名なモダニズム建築の保存改修。旧建物の基礎を再構築して新たな施設機能を付加した。
所在地: 東京都港区
旧竣工年: 1955(昭和30)年
旧設計者: 前川 國男、坂倉 準三、吉村 順三
旧構造/規模: RC造/地上4階
継承種別: 保存+増築
竣工年: 2005年
[ そのほか ]
・安川電機歴史館[旧本社事務所講堂] ・大名古屋ビルヂング