DISCUSSION

Vol.42

八島 紀明 情報デザイナー
サインとは何か? サインデザインとは何か? [中編]

2022/10/27

[写真1]丸の内ビルディング1階、8面のディスプレイが並んだ大型デジタルサイネージ(2019年)

Q八島さんの「サインデザイン」の原点を教えてください。

A : 生まれは三重県鈴鹿市で、父が鈴鹿サーキットのマネージャーをしていたので、「デザイン」の原点は幼少期に慣れ親しんだHondaのデザインです。14歳の時、父の転勤に伴い家族でハワイへ移住し、高校まで過ごしました。ハワイにはさまざまな人種が集まってくるので、言葉の壁に苦労しました。通った高校ではいじめにあったり、喧嘩をすることもしばしばでした。嫌な人は言葉が分からなくても、本人が醸し出している雰囲気で性格が何となく理解できました。最初は何を言われているのか全然わからないのですが、3〜5ヶ月すると、その言語の体系、コードが理解できる瞬間が訪れます。ある日、突然自転車に乗れるように感覚に近い。言葉がわからないことの悔しさ、わかった時の喜びを味わったと同時に、言語がもつ不思議さ、また言語に頼らない雰囲気づくりの大切さを実感しました。その時は「サインデザイン」という言葉があることも知らなかったのですが、振り返れば、このハワイ時代の苦い体験が「情報デザイナー」になる原点になっていると感じます。

大学入学を機に帰国し、法政大学で法学を学びました。大学時代の日本はちょうとバブル景気の最中で、就職先は引く手あまたの状態でしたが、私自身は日本の社会に馴染めず、就職活動を一切せずに卒業し、土方、ツアーコンダクター、ウェイター、バーテンダー、トラックやバイク便の運転手、高層ビルの清掃員、ホテルのフロントマンなど、職を転々としました。結局いずれもうまく馴染みきれず、組織の中で働くのは向いていなと感じていた20代後半、妻がアルバイトをしていた印刷屋の版下作成を手伝ったことがあり、その時にようやく、初めて「サインデザイン」の存在を知ります。出来上がりを評価されたこともあり、デザイナーになることを志し、30歳で初めてデザインしたのが「原宿クエスト」(1988年竣工/2021年閉館)のサインでした[写真2]。

[写真2]かつて原宿駅前にあった複合商業施設、原宿クエストのサイン(2001年)

Qデザイナーとして駆け出しの頃に丸の内のプロジェクトを担当されて以来、丸の内には特別な想いをお持ちだと伺いました。

A : 2002年、井原理安デザイン事務所に入社し、「コレド日本橋」(2004年竣工)のサイン計画などと並行して担当したのが丸の内の「サインデザインブック」(三菱地所)です。2002年はちょうど丸の内の再構築が始まった年で、建築ごとに異なるデザインエレメントを整理し、まちのサインルールをつくるというプロジェクトでした。デザイナーとして駆け出しの頃に、大規模プロジェクトの情報デザインに取り組んだことが、今の自分につながっていると思います。「丸ノ内ホテル」(2004年竣工)、「新丸の内ビルディング」(2007年竣工)、「丸の内パークビルディング」(2009年竣工)のサイン計画もお手伝いをしました。

サイン計画をする時に役立っているのが、20代で経験した多様な職歴です。どのプロジェクトでも「依頼者のためだけに仕事をせず、その向こうにいる無名の人を意識する」ことを信条としているのですが、例えば商業施設の場合、お客様だけでなく、そこで働くさまざまな人や来訪者(自分が以前経験したトラックの運転手やビル清掃人など)をリアルに想像して、サイン計画に生かすことを心がけています。自分がデザインそのものよりも、アイディア(考え方)を重要視している所以です。
2009年に独立した後も丸の内に関わる機会をいただき、2019年および2021年に行われた丸の内ビルディングや新丸の内ビルディングのサインリニューアル[写真3]では、デジタルサイネージ計画を担当しました。丸の内ビルディング1階、総合案内脇の大型デジタルサイネージ[写真1]には、各階フロアガイドやイベント情報などのほかに、丸の内のまち全体を紹介するお散歩マップを掲示しています。昔の商業施設では、ライバルの周辺施設を宣伝するようなサインはあり得ませんでしたが、お客様の立場になってみれば、まち歩きには不可欠な情報です。各施設をイラスト化し、丸の内仲通りを人々が行き交うアニメーションで楽しい雰囲気に仕上げています。ラグビーのシーズン中には、ラグビー選手が出現するかもしれないので、ぜひ探してみてください(笑)。

丸の内の街角で20年前に手掛けたサインがまだ現役で頑張っているので、まちの様子は常に気にかかります[写真4]。親が子ども見守るような感覚で、新コロナウイルス感染症対策で緊急事態宣言が発出された時も頻繁に足を運び、写真を撮り続けました。すっかり人影が消え、寂しさを感じた一方で、皇居外苑や丸の内仲通りなど、緑の豊さを改めて認識しました。まちが徐々に活気を取り戻し始めた時は、本当に嬉しかったですね。

[写真3]丸の内ビルディング6階のフロアガイド(2021年)。
タッチレスのディスプレイシステムを採用したフロアガイドでは、
例えばレストランを探す時に、フロアごとだけでなく、
和食やイタリアンなど、ジャンルごとでも表示できるようにしている

[写真4]今も丸の内の街角に立つ、円筒形サイン(2004年)

Qそのほかコロナ禍を機に、再認識したことはありますか?

A : コロナ禍で時間ができ、本の制作を通して独立後の活動を再考する機会がありました。13年前に事務所をスタートした当初から、サイン・ディスプレイ専門誌『POP EYE』に「サインの旅」を連載していました。50名以上の建築家、デザイナー、アーティストなど、私の仕事仲間に声をかけて、世界中のサインや街並みについてインタビューを行い、写真とともに文章にまとめて紹介するコーナーです。連載を続ける中で、先ほど申し上げたように、「サイン」という言葉が非常に広義であることに気がつき、私たちが日々生活を行う上で不可欠なものであることをもっと多くの方に知ってもらいたいと思っていたところ、『世界のサインデザインとうつくしい街並み』という本にまとめて、三才ブックスから出版することになったのです。サインを巡る旅を通じて、世界の暮らしと文化とコミュニケーションを紹介する本で、制作には約1年を要しましたが、今秋出版され、全国の本屋に並ぶ予定です[図版1]。

[図版1]『世界のサインデザインとうつくしい街並み』(三才ブックス、2022年秋)

[写真2・図版1:八島紀明氏提供]

八島 紀明/情報デザイナー、株式会社八島デザイン事務所代表

PROFILE:やしま・としあき/1970年三重県鈴鹿市生まれ。1984年に家族で渡米、1989年ハワイ州カイム高校卒業。大学入学を機に帰国し、1994年法政大学法学部法律学科卒業。20代はツアーコンダクター、ウェイター、バーテンダー、ホテルマン、土方、トラックやバイク便の運転手、ビル清掃など、さまざまな職を経験し、30歳でデザイナーを志す。1995年〜ホテルインターコンチネンタル、1996年〜有限会社菜々六工房、1998年〜株式会社びこう社、2000年〜株式会社イリア、2002年〜有限会社井原理安デザイン事務所勤務を経て、2009年に株式会社八島デザイン事務所設立。

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